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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 社会人だから、やらなきゃいけないことをやる。これは当然です。

 ただ犬神はそれの度が過ぎてしまうことがしばしばで、仕事以外のところでも「やらなきゃ、やらなきゃ」の呪縛にとらわれ、無駄に気持ちをすり減らしてしまうのですね。

 そういうことが嫌なので、話題を変えます(?)。


 近藤雅樹『霊感少女論』を読んでいるのですが、いつのまにか最近の自分はかなりオカルトな世界に取り込まれていたことに気づきました。半ば無意識の世界(感覚的なところ)で幽霊とか何とかというものの存在を認めていたようだったのです。

 ただ、完全にその存在を信じきるほど素直な性格でもないのがこの私。そういうのがいる世界を想像し、あえてそれを現実の世界に持ち込んで、境目をあいまいにして楽しむ……と、本人としてはあくまでも冗談の延長線上に考えているのです。

 だから、存在を認めているというよりも、知らず知らずのうちに山菜取りをしているうちに山の奥深くに迷い込んでしまったように、知識が深まったために結構ディープなところまで分け入っていた、という程度なのかもしれません。路線としては荒俣宏先生と同じようなものだと思います(これが、高橋克彦先生の領域まで行っちゃうと、それはちょっとアレですけど)。


 近藤先生の『霊感少女論』を読んでいてハッとさせられたのは、せっかく民俗学的なスタンスから冷静に分析してくれているのに、

 「そうは言うけど、それは常識にとらわれた大人の論理だ」

 とかって思っている私がいたんです。

 うん、やっぱりかなり危ないところまで来ていたようです。ようやくそのことに気づいたのでした。


 まあ、ずっと文学ばかりやってきたこともあるので、今さら唯物論的な生き方をすることは出来ません。うまくいかないことが続く時は「運が悪い」「流れが悪い」と思いますし、神様仏様バース様(!?)それから幽霊やその他怪異の存在も片っ端から否定するつもりもありません。いつもではありませんが、外を歩く時はヘッドホンステレオで外界との壁を作ります。

 でも、それはあくまでも冗談の範疇。昔ある探偵さんが言っていた言葉を借りると、

 「人間は冗談か本気かわからない
 ギリギリのところで生きているんじゃないかしら」

 ということなんです。

 まあ、ギリギリのところをほんの少し向こう側に行き過ぎていたので、もう少しこっち側の世界に気持ちを引き戻すくらいのことはしますけれどね。それでも、これからもそういったところをフラフラと歩いていこうと思います。つまりジョークウォーク。


 幽霊とかおばけとか、いるかどうかはわからないけど、その手の話は結構好きです。あくまでも物語として、ですけどね。

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