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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 今日は……まあ、一生に一度しか書く機会がないので、思い切りやらせていただきます。

 明日はいよいよ私の誕生日。そして30代の始まりです。

 本当は、30歳になったら、もう少し何とかなってると思ったんですよね。

 まあ、「何とかなっている」という、極めて他人任せと言うか、やる気のない展望をしている時点で、どうにもならないことが確定しているようなものなのですが、ワカった時にはもう遅いっていうやつでして。

 でも、結構、納得しています。後悔はあるけど、納得できる人生。

 何もしていないようでもそれなりに積み重ねてきたものはあったし、ここ3年くらいで一気に取り戻したものもたくさんあったし。


 今、公開している最古の日記が2001年9月……私が20歳だったころですが……ものすごく後ろ向きというか、暗いというか、まあどーしようもない日々を過ごしていたようです。なんとも非生産的な人生。停滞したような人生。

 2001年9月の日記

 そんな人生を送ってきたものだから、とりあえず就職したものの、普通の人が当たり前のようにこなす業務にほとんどついていけず、成績は地を這うが如し。持ち前の意地で何とかしがみついたものの、心身の調子を崩して診療内科に通いました。

 それで何とか調子を持ち直し、さらに配置転換によって業務内容および人間関係が劇的に改善。ようやく社会人として世の中に利益をもたらせる人間になりました。

 ここから私の停滞していた人生が動き出した……といえばそれはそうなのですが、大人の振る舞いって言うんですか、毎日の仕事を「それなりに」こなして、あとは煙草とか吹かして悠々と生きるような日々が、2008年の夏まで続きました。


 「自分はもう、身体的なピークは過ぎたから」

 駐車場の前の道路を走るジャージ姿の中学生諸君を見るたびに、そう言い訳をして煙草を吹かしていたのですが、このまま本当に朽ちてしまっていいのか? という気持ちが日に日に強くなっていきました。

 世の中に『草食男子』という言葉が生まれ始めたころではなかったでしょうか。もうちょっとあとだったかな。いずれにせよ、14歳のころから何もしないくせにやたら反発心だけは強かった私、そういった世の中の大きな流れに飲み込まれるのをヨシとしなかったので、少しずつ出来ることをすることにしました。

 実際、思いのほか身体を動かすことが出来ることに、気づいたことがありました。その年の夏に、何年かぶりに海水浴に行った際、結構泳げたんですよね。

 「ああ、これなら、まだまだいけるじゃないか」

 ということで、そこから毎日トレーニングに励む……ことをしないのが私らしいというか、何日かやって、しばらく休んで、というのを何度も何度も繰り返していたのですね。

 だから3年36ヶ月のうち、たぶん26ヶ月以上は、何もしてこなかったんじゃないかな、と思います(笑)。


 それでも、チリ程度のものはいつも、残っていたんでしょうね。そういうものがちょっとだけ残っていたから、それをエネルギーにして、ほんの少しだけ上に登れた。そんな風に思います。

 そしてこの2ヵ月くらいの間は、かなり頑張りました。平直行さんの本で読んだ、その日のトレーニング内容をメモするやり方(実際はアンディ・フグがやっていた)を実行しました。

 その甲斐あって、とりあえず5kmくらいなら(何とか)走れるようになりましたし、拳立て伏せも30回くらいできるようになりました(かなりアヤシイですが)。

 この『30回』という回数を目標にしたのは、芦原会館の昇級・昇段試験の中に『年齢程度の拳立て伏せ』という項目があったので。もちろん私は門下生ではありませんし、仮にこんなやり方で30回やったとしても「それじゃあ、ちょっとね……」と保留にされることは想像に難くないのですが、とにかく第一歩を踏み出すことが出来たので、これでいいんです。今はね……。


 長くなりましたが、私もいよいよ30代。

 とりあえず中学のころ、高校のころ、大学のころ、そして社会人になってから数年間の私。そのすべてに、今の私なら、勝てる気がします。

 収入は相変わらずの低空飛行、さらにいまだ独身という惨状ではありますが(笑)それでもアノころ思い描いていた『いい大人』には、条件付ギリギリのところでなれたのかな、という気がします。

 さあ、頑張ろう。

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 今、公開している最古の日記が2001年9月……私が20歳だったころですが……ものすごく後ろ向きというか、暗いというか、まあどーしようもない日々を過ごしていたようです。なんとも非生産的な人生。停滞したような人生。

 2001年9月の日記

 そんな人生を送ってきたものだから、とりあえず就職したものの、普通の人が当たり前のようにこなす業務にほとんどついていけず、成績は地を這うが如し。持ち前の意地で何とかしがみついたものの、心身の調子を崩して診療内科に通いました。

 それで何とか調子を持ち直し、さらに配置転換によって業務内容および人間関係が劇的に改善。ようやく社会人として世の中に利益をもたらせる人間になりました。

 ここから私の停滞していた人生が動き出した……といえばそれはそうなのですが、大人の振る舞いって言うんですか、毎日の仕事を「それなりに」こなして、あとは煙草とか吹かして悠々と生きるような日々が、2008年の夏まで続きました。


 「自分はもう、身体的なピークは過ぎたから」

 駐車場の前の道路を走るジャージ姿の中学生諸君を見るたびに、そう言い訳をして煙草を吹かしていたのですが、このまま本当に朽ちてしまっていいのか? という気持ちが日に日に強くなっていきました。

 世の中に『草食男子』という言葉が生まれ始めたころではなかったでしょうか。もうちょっとあとだったかな。いずれにせよ、14歳のころから何もしないくせにやたら反発心だけは強かった私、そういった世の中の大きな流れに飲み込まれるのをヨシとしなかったので、少しずつ出来ることをすることにしました。

 実際、思いのほか身体を動かすことが出来ることに、気づいたことがありました。その年の夏に、何年かぶりに海水浴に行った際、結構泳げたんですよね。

 「ああ、これなら、まだまだいけるじゃないか」

 ということで、そこから毎日トレーニングに励む……ことをしないのが私らしいというか、何日かやって、しばらく休んで、というのを何度も何度も繰り返していたのですね。

 だから3年36ヶ月のうち、たぶん26ヶ月以上は、何もしてこなかったんじゃないかな、と思います(笑)。


 それでも、チリ程度のものはいつも、残っていたんでしょうね。そういうものがちょっとだけ残っていたから、それをエネルギーにして、ほんの少しだけ上に登れた。そんな風に思います。

 そしてこの2ヵ月くらいの間は、かなり頑張りました。平直行さんの本で読んだ、その日のトレーニング内容をメモするやり方(実際はアンディ・フグがやっていた)を実行しました。

 その甲斐あって、とりあえず5kmくらいなら(何とか)走れるようになりましたし、拳立て伏せも30回くらいできるようになりました(かなりアヤシイですが)。

 この『30回』という回数を目標にしたのは、芦原会館の昇級・昇段試験の中に『年齢程度の拳立て伏せ』という項目があったので。もちろん私は門下生ではありませんし、仮にこんなやり方で30回やったとしても「それじゃあ、ちょっとね……」と保留にされることは想像に難くないのですが、とにかく第一歩を踏み出すことが出来たので、これでいいんです。今はね……。


 長くなりましたが、私もいよいよ30代。

 とりあえず中学のころ、高校のころ、大学のころ、そして社会人になってから数年間の私。そのすべてに、今の私なら、勝てる気がします。

 収入は相変わらずの低空飛行、さらにいまだ独身という惨状ではありますが(笑)それでもアノころ思い描いていた『いい大人』には、条件付ギリギリのところでなれたのかな、という気がします。

 さあ、頑張ろう。

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