……で、私の30周年記念日となってしまいます。
正直なところ、28歳ころまで「実質20歳」といいますか、大学のころの感覚があんまり抜けていなくて、何となく数字を重ねていったという日々でした。そのため「この先おれはどうなるんだろう」という漠然とした不安があり、「まあいいか」という、せつな的な楽観論があり。
もしもそのまま本当に今日という日を迎えていたら、私は本当にどうしようもない、毒にも薬にもならない人間になっていたと思います。
まあ、「もしも」の話としてこんなことを言えるだけのことを、自分なりに頑張ってきた自負があるので、そう言っているのですが。
もちろん、もっと早く始められればもっとよかったと思いますが、遅すぎたとは思いません。それ以前は、やろうったって出来なかったのでしょうから。
今となってはその明確なきっかけがなんだったのかは、よく覚えていないのですが、たぶん私が借りている駐車場の近くにある中学生の諸君のおかげだったと思います。具体的にはまた稿を改めて書きたいと思いますが、部活で学校の周りの道路をひた走る少年少女らを煙草など吹かしながら眺めているうちに、天啓があって、「このままじゃいけない」と思った、と。そういう感じでした。
あと1ヵ月と4日ほど。後悔のない20代だった、といえるよう、精一杯頑張っていきたいと思います。
正直なところ、28歳ころまで「実質20歳」といいますか、大学のころの感覚があんまり抜けていなくて、何となく数字を重ねていったという日々でした。そのため「この先おれはどうなるんだろう」という漠然とした不安があり、「まあいいか」という、せつな的な楽観論があり。
もしもそのまま本当に今日という日を迎えていたら、私は本当にどうしようもない、毒にも薬にもならない人間になっていたと思います。
まあ、「もしも」の話としてこんなことを言えるだけのことを、自分なりに頑張ってきた自負があるので、そう言っているのですが。
もちろん、もっと早く始められればもっとよかったと思いますが、遅すぎたとは思いません。それ以前は、やろうったって出来なかったのでしょうから。
今となってはその明確なきっかけがなんだったのかは、よく覚えていないのですが、たぶん私が借りている駐車場の近くにある中学生の諸君のおかげだったと思います。具体的にはまた稿を改めて書きたいと思いますが、部活で学校の周りの道路をひた走る少年少女らを煙草など吹かしながら眺めているうちに、天啓があって、「このままじゃいけない」と思った、と。そういう感じでした。
あと1ヵ月と4日ほど。後悔のない20代だった、といえるよう、精一杯頑張っていきたいと思います。
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