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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。


 これは新潮文庫版ですが、私が読んだのはたぶんもっとも初期のものだと思います(95年4月初版、私が持っているのは同年7月に出た7版)。数年前に弟者が買って来て、途中まで読んでいたが「それどころではなくなった(弟者談)」ので私の部屋の本棚にず~っとしまっていたものです。

 漫画化、映画化、ゲーム化と、いかにも角川作品らしく色々なメディアミックス戦略を打たれた本作でありますが、そのいずれもが少しずつ(ゲーム版は「全然」かな)違っていて、やはり本作についてちゃんとした感想を書くためには原作を読むしかあるまい! と思い、今回手に取った次第です。なおマンガ版については、それだけで色々と書きたいことがあるので、稿を改めることとしましょう。

 ……いやはや、これはスゴイ作品です。原稿用紙700枚以上の長編でありますが、中盤からもう手が止まらない。とにかく一気に読みきってしまいました。

 そして、これまで悶々としていた感情に一本の理論的裏付け(または私の言い訳)が敷き詰められた、特別な一冊となったのでした。
 『生化学者の妻が、不可解な交通事故死を遂げた。夫は妻の死を受けいれられず、肝細胞を“Eve1”と名づけ培養する。徐々に恐るべき性質をあらわす…。人間という種の根幹を揺るがす物語。』とは、Amazonの内容紹介文ですが、こういう話です。

 中盤くらいまで読んで思ったのは、この本が刊行されたころ1995年(または94年ごろ)は、今ほど臓器移植というのが認知されていなかったのかな、ということ。確かにいわゆる『臓器移植法』が制定されたのは1997年ですからね。それ以前は心臓停止をもって「人の死」と認め、大急ぎで臓器を取り出して移植していたようなのです。

 そんな時代だから、他人の身体を切り開いて臓器を取り出し、それを別な人に移植する……ということ自体に対するイメージは、あまりよくなかったのかもしれません。作中でもそういった趨勢をうかがわせるような記述があります。当時中学生だった犬神君はマンガ版(立ち読み)でこのあたりに起因する小事件を読み、ショックで慌てて本棚に戻し、以来ず~っと記憶の彼方に封じ込めていたのです。

 移植ものといえば齋藤智裕の『KAGEROU』なんかも、そんな感じですが、中盤くらいから「ああ、これはSFホラーだったんだ」と思い出させるような急展開が来ます。もはや絶叫マシーン並に急加速します。


 物語の鍵となるのは、私たち人間が誰でも持っている「ミトコンドリア」。理科の時間があまり好きでなかった私には頭が痛くなってくるような単語ですが(笑)、私たちが生きるエネルギーを得るためには必要不可欠な「共生者」ですからね。このミトコンドリアがあったからこそ、私たちはかくも進化したのでしょう。

 ところが、実はこのミトコンドリアは独自にDNAを持っており、「共生」ではなく「寄生(パラサイト)」して、私たちとともに進化を続けてきて……そして、それがついに反乱を起こし始め……。

 ……そもそも著者がその方面の専門家なので、科学的な描写についてはとても専門的です。専門的過ぎて私には理解できない部分も少なくありませんが、まあ専門用語の部分は完璧に理解できなくても大丈夫です。

 亡くなった妻の代わりに肝細胞を愛してしまった夫に「オイオイ」と薄ら寒いものを覚え、そういう病気になってしまったために偏見と療養生活に苦しむ少女に胸を痛め、そしてそれらをすべて飲み込もうとする寄生者に、恐怖を感じる……。一通り読み終えた時、そういった異なる感想を持ちました。なんか、お得感です(笑)。


   *


 そして、これを読んだ時、ふとつながったものがありました。それは藤子・F・不二雄先生のSF短編を読んだ時のことでした。

 アレと同じ感覚。……筋道のある、理論的なプロセスに乗っ取って事象がどんどん進み、確実に破滅へと近づいていく。そして、それに対して有効な作戦を何も思いつかないものだから、やがて訪れる結末を受け入れるしかない……という、あの感覚を思い出したのです。

 おばけとか、幽霊とか、そういうオカルトな恐怖もあると思うのですが、これなら逆に精神力如何でどうにかなる気がするのですね。いざとなったら神頼みでどうにかなりそうだし。

 でも、SF的な恐怖というのは、そうはいかない。原因がハッキリしているから、その原因を取り除かないと、祈ろうが何をしようが、結果を変えることが出来ないわけですからね。そういう、恐怖の質の違いなのかな、と思ったのでした。


  *


 ミトコンドリアの反乱によって脅かされる、私たち人類は、果たしてどんな結末を迎えるのか。それに関しては、ここでは触れません。かなりの長編作品ですが、ぜひ原作をご覧ください。

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 『生化学者の妻が、不可解な交通事故死を遂げた。夫は妻の死を受けいれられず、肝細胞を“Eve1”と名づけ培養する。徐々に恐るべき性質をあらわす…。人間という種の根幹を揺るがす物語。』とは、Amazonの内容紹介文ですが、こういう話です。

 中盤くらいまで読んで思ったのは、この本が刊行されたころ1995年(または94年ごろ)は、今ほど臓器移植というのが認知されていなかったのかな、ということ。確かにいわゆる『臓器移植法』が制定されたのは1997年ですからね。それ以前は心臓停止をもって「人の死」と認め、大急ぎで臓器を取り出して移植していたようなのです。

 そんな時代だから、他人の身体を切り開いて臓器を取り出し、それを別な人に移植する……ということ自体に対するイメージは、あまりよくなかったのかもしれません。作中でもそういった趨勢をうかがわせるような記述があります。当時中学生だった犬神君はマンガ版(立ち読み)でこのあたりに起因する小事件を読み、ショックで慌てて本棚に戻し、以来ず~っと記憶の彼方に封じ込めていたのです。

 移植ものといえば齋藤智裕の『KAGEROU』なんかも、そんな感じですが、中盤くらいから「ああ、これはSFホラーだったんだ」と思い出させるような急展開が来ます。もはや絶叫マシーン並に急加速します。


 物語の鍵となるのは、私たち人間が誰でも持っている「ミトコンドリア」。理科の時間があまり好きでなかった私には頭が痛くなってくるような単語ですが(笑)、私たちが生きるエネルギーを得るためには必要不可欠な「共生者」ですからね。このミトコンドリアがあったからこそ、私たちはかくも進化したのでしょう。

 ところが、実はこのミトコンドリアは独自にDNAを持っており、「共生」ではなく「寄生(パラサイト)」して、私たちとともに進化を続けてきて……そして、それがついに反乱を起こし始め……。

 ……そもそも著者がその方面の専門家なので、科学的な描写についてはとても専門的です。専門的過ぎて私には理解できない部分も少なくありませんが、まあ専門用語の部分は完璧に理解できなくても大丈夫です。

 亡くなった妻の代わりに肝細胞を愛してしまった夫に「オイオイ」と薄ら寒いものを覚え、そういう病気になってしまったために偏見と療養生活に苦しむ少女に胸を痛め、そしてそれらをすべて飲み込もうとする寄生者に、恐怖を感じる……。一通り読み終えた時、そういった異なる感想を持ちました。なんか、お得感です(笑)。


   *


 そして、これを読んだ時、ふとつながったものがありました。それは藤子・F・不二雄先生のSF短編を読んだ時のことでした。

 アレと同じ感覚。……筋道のある、理論的なプロセスに乗っ取って事象がどんどん進み、確実に破滅へと近づいていく。そして、それに対して有効な作戦を何も思いつかないものだから、やがて訪れる結末を受け入れるしかない……という、あの感覚を思い出したのです。

 おばけとか、幽霊とか、そういうオカルトな恐怖もあると思うのですが、これなら逆に精神力如何でどうにかなる気がするのですね。いざとなったら神頼みでどうにかなりそうだし。

 でも、SF的な恐怖というのは、そうはいかない。原因がハッキリしているから、その原因を取り除かないと、祈ろうが何をしようが、結果を変えることが出来ないわけですからね。そういう、恐怖の質の違いなのかな、と思ったのでした。


  *


 ミトコンドリアの反乱によって脅かされる、私たち人類は、果たしてどんな結末を迎えるのか。それに関しては、ここでは触れません。かなりの長編作品ですが、ぜひ原作をご覧ください。

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