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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 以前このブログで、水樹奈々という人について、書いたことがありました。

 2010年1月27日の記事

 その後、昨年末の紅白にも出場するわ自伝を出版するわと、とにかく一声優の枠を越えたカリスマ的な魅力を作り出そうとして、これを見事に成功させている感があるのですが、前に記事にした時からずっと違和感というか……

 なぜか、本腰を入れて応援する気になれなかったのですね。

 自伝『深愛』を刊行したというニュースを毎日jpで見た時、その内容を記事でサラッと知り、いかに凄絶な教育およびイジメを受けてきたのかということはわかったのですが、そのせいか、かえって「自分には理解できない人」という印象が強まりました。

 もちろん、それはご本人が歩んできた人生ですし、それをそのまま本にしただけだから、どうこう言う権利は私にはありません。たぶんこういう受け止められ方は本意ではないのでしょうが、「これだけ大変な思いしてアタシは今歌手活動やってるんだからね、そこらへんの可愛いだけの声優とは違うのよ」と言われているような気がしてしまうのです。

 もっとも、私は言葉を知らないので、こういった感情を上手に説明することが出来ず、「違和感」というモヤモヤした感じの言葉で温めておくしかなかったのですが、最近ネットでこの「違和感」をビシッと説明してくれた(と私は合点した)文章を見つけました。これでスタンスを確定させていただくことにしましょう。


 
 それというのは近田春夫さんが週刊文春で連載している『考えるヒット』という記事において。ちなみにこの記事は私が直接目にしたものではなく、他人のブログで引用されていた記事の孫引きであることを初めに申し上げます。→コチラです

 
 まず、水樹奈々の音楽について、近田さんはこのように分析。
 

 たとえ彼の作風の(あまり指摘されないが)特徴のひとつに「拍の前に16分音符がふたつ、引っかけてメロディーに入る」を多用、というのがある。そうした間違いなくTKから始まった技法などがこの曲にもいくっかしっかりと受け継がれている。おそらく世代ということならば作り手ももう相当に交代が進んでいるに違いないシーンに於いて、いまだにTKのの精神(?) が力強く伝承されているというのはちょっとすごいことなのでは……?
 

 TKというのは無論、小室哲哉氏のこと。さすが音楽評論家です。私は音楽論は詳しくありませんが興味はあるので、このようにわかりやすい言葉で説明していただけるのは非常に嬉しいです。

 それをふまえ、近田さんはさらにこのように分析。
  

このサウンドプロダクション、刺激や感動といった、リスナーの購買に“即”結び付く要素を、具体的に形にしてゆく、そのスキルは本当にすごい。それこそ“緩急”のつけ方が自在で細部のブラッシュアップが半端じゃなく、緊張から開放、そして緊張へと、隙あらばの変幻をものの見事スムーズにやってのけるから、聴き手はついつい流れに身を委ねてしまうことになる。
 

 これに関しては、近田さんは以下のような感想を持ったそうです。
 

 うーむ。フィジカルなサービスならお任せ! といったところか? 聴いているとその悦楽ゆえに思考などどうでもよくなってくる……? これはむしろマッサージやエステに近いかもしれぬ。
 

 そして、これらを踏まえて、水樹奈々という人を以下のように結論。
 

そうした、意味よりアピアランスという姿勢は、歌唱においても揺るぎないほど貫かれている。結局このCDの何よりの聴きどころは水樹奈々のテクなのである。その完璧性といったら、正しさより官能美が自然におもてに聴こえ、しかしそう歌うことが意識下のものだと伝わってくるところだろう。まさにパーフェクトなヴォイスコントロールの行われていることは、ピプラートを聴くだけで分かる。この歌い方に偶然はない。

  *

 ただ、だからと言ってこの歌い手にアーチストとしての人間性魅力を求めたくなるかは別の話だ。

それは、如何にTDLのミッキーさんが(上手で)可愛くとも、中に入っている人に想いをいたすことなどまずやらない、というのと同じことだからである。

この方向性のマーケット、これからエスカレートしてゆきそうな気がしないでもない。
 

 ……つまり、そういうことなんでしょう。私が引用したブログの管理者様はかなり水樹奈々にご熱心なようですが、残念ながら水樹流アピアランスにこれっぱかしもなびかない犬神は、私自身の感情と近田さんの理論をガッチャンコして、基本的なスタンス確定とさせていただきます。

 そういう方向で歌を歌い続けるのは、大いに結構であると思います。たくさん露出してたくさん歌ってたくさん紅白に出ればいいと思います。成功すればいいと思います。リスナーはCDが出たら即買いして100回でも200回でも聴きまくり、その都度魅了されればいいと思います。

 でも、私は引っかからなかった。そういうことです。

ちなみに私はwikipediaで調べるまで、近田さんの情報も知りませんでした。関連項目に「やくしまるえつこ」とあったので、えっ!? と思って調べてみたら、ああ、『おやすみパラドックス』の作曲をしていたんですね。ってことは、私も近田派ですね(?)。

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 それというのは近田春夫さんが週刊文春で連載している『考えるヒット』という記事において。ちなみにこの記事は私が直接目にしたものではなく、他人のブログで引用されていた記事の孫引きであることを初めに申し上げます。→コチラです

 
 まず、水樹奈々の音楽について、近田さんはこのように分析。
 

 たとえ彼の作風の(あまり指摘されないが)特徴のひとつに「拍の前に16分音符がふたつ、引っかけてメロディーに入る」を多用、というのがある。そうした間違いなくTKから始まった技法などがこの曲にもいくっかしっかりと受け継がれている。おそらく世代ということならば作り手ももう相当に交代が進んでいるに違いないシーンに於いて、いまだにTKのの精神(?) が力強く伝承されているというのはちょっとすごいことなのでは……?
 

 TKというのは無論、小室哲哉氏のこと。さすが音楽評論家です。私は音楽論は詳しくありませんが興味はあるので、このようにわかりやすい言葉で説明していただけるのは非常に嬉しいです。

 それをふまえ、近田さんはさらにこのように分析。
  

このサウンドプロダクション、刺激や感動といった、リスナーの購買に“即”結び付く要素を、具体的に形にしてゆく、そのスキルは本当にすごい。それこそ“緩急”のつけ方が自在で細部のブラッシュアップが半端じゃなく、緊張から開放、そして緊張へと、隙あらばの変幻をものの見事スムーズにやってのけるから、聴き手はついつい流れに身を委ねてしまうことになる。
 

 これに関しては、近田さんは以下のような感想を持ったそうです。
 

 うーむ。フィジカルなサービスならお任せ! といったところか? 聴いているとその悦楽ゆえに思考などどうでもよくなってくる……? これはむしろマッサージやエステに近いかもしれぬ。
 

 そして、これらを踏まえて、水樹奈々という人を以下のように結論。
 

そうした、意味よりアピアランスという姿勢は、歌唱においても揺るぎないほど貫かれている。結局このCDの何よりの聴きどころは水樹奈々のテクなのである。その完璧性といったら、正しさより官能美が自然におもてに聴こえ、しかしそう歌うことが意識下のものだと伝わってくるところだろう。まさにパーフェクトなヴォイスコントロールの行われていることは、ピプラートを聴くだけで分かる。この歌い方に偶然はない。

  *

 ただ、だからと言ってこの歌い手にアーチストとしての人間性魅力を求めたくなるかは別の話だ。

それは、如何にTDLのミッキーさんが(上手で)可愛くとも、中に入っている人に想いをいたすことなどまずやらない、というのと同じことだからである。

この方向性のマーケット、これからエスカレートしてゆきそうな気がしないでもない。
 

 ……つまり、そういうことなんでしょう。私が引用したブログの管理者様はかなり水樹奈々にご熱心なようですが、残念ながら水樹流アピアランスにこれっぱかしもなびかない犬神は、私自身の感情と近田さんの理論をガッチャンコして、基本的なスタンス確定とさせていただきます。

 そういう方向で歌を歌い続けるのは、大いに結構であると思います。たくさん露出してたくさん歌ってたくさん紅白に出ればいいと思います。成功すればいいと思います。リスナーはCDが出たら即買いして100回でも200回でも聴きまくり、その都度魅了されればいいと思います。

 でも、私は引っかからなかった。そういうことです。

ちなみに私はwikipediaで調べるまで、近田さんの情報も知りませんでした。関連項目に「やくしまるえつこ」とあったので、えっ!? と思って調べてみたら、ああ、『おやすみパラドックス』の作曲をしていたんですね。ってことは、私も近田派ですね(?)。

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