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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 昨日はとにかく、朝から晩までつりたくにこさんのことを考えていた気がします(他にすることがなかったから)。

レビューを書くために本編や解説を何度も読み返していたのですが、その中でしみじみ感じたのは「自己表現」という言葉の重さ。

 今、自分の言葉をみんなに発信したい! と思ったら、ホームページにブログにツイッター……と色々なものがあり、その気になれば小学生だって世界中に自分の言葉を発することができますが、つりたさんの生きた1960年代に自分のことを出すとすれば、まずそれが本に載らないといけない。これは大変なことでしょう。

もちろん私もこうしてブログを書いたりしている身なので、このような時代は歓迎するところですが、簡単に出来るからこそ表現に気をつけなければならないなと思ったのです。

 気をつけなければ、というか、怖いなと思ったのです。



先日、大桃美代子さんがツイッターで「自分の元夫と離婚したのはが麻木久仁子さんと不倫していたから」と発言したとして大騒ぎになったことがありました(今も大騒ぎ中なのかな)。何せスポーツ紙にドーンと載って、それがめざましテレビのエンタエンタCHo-KanDO!のコーナーで紹介されちゃったくらいですからね。

 これって、もし本人が書き込んだのだとすれば、それがどういった影響を及ぼすのか考えなかったのかな? って気もするし、誰かがなりすまして書き込んだのだとすれば、はた迷惑な話だし。いずれにしてもいい気がしません。

自分の独り言、ボヤキが世界中を発信し、それに共感して、ネット上でのつながりを感じる…コミュニケーションツールという横文字をかみ砕くと、こんな感じなのかな、と私は思いました。

 まあ、あとは即効性というか、臨場感みたいなのも、いいんでしょうね。こないだのバスジャック事件でも、現場からツイッターで実況中継されたというし。流行語にランキングもした「~なう」ってやつですよね確か。

 ……というか、そんな暇があったら何とかしろよ! と思うし、そうまでして誰かとつながりたいとも思わないし。そういうツール自体はすごく便利な、面白いものだとは思いますが、私はいらないかな。


かといって、誰にも読んでもらわなくたっていいんだ、わかる人がわかってくれればいいんだ、って言うのでは、わざわざホームページで公開する意味がありません。まあ、これはかつての自分自身の反省もあるのですが。

というのは、ホームページを作り出して間もない頃のこと。

 それまでも趣味で文章を書くことはありましたが、はっきり言ってそれは「自分が読むための」文章。誰かが読むことを考えない言葉遣いと内容の文章を公開してしまい……古館伊知郎のワールドプロレスリング実況中継ふうに言えば、「さながら猛省の無間地獄であります!」といった目にあったことがありました。これはホームページのご挨拶で書いている通りです。

 まあ、(ちょっと一般的ではなかったけど)思想を抱くことまでは、よかったと思うのです。描きたいものを描くと宣言し、それを受け入れられない読者からの批判にもめげずに最後まで貫き通したつりたさんは、商業的には難しかったでしょうが、私のように心を打たれてファンになる人をたくさん増やしました。

でも、それはつりたさんが私にも通じるような言葉で投げかけてくれたからであって、「誰かが読む」ということを考えなかった自分がいけなかったのだろう、と今は思います。

伝わりすぎるのもわかりづらすぎるのも、どちらも自分の言葉への配慮が足りないということ。誰にも止められず簡単に言葉を世界中の人に伝えられるからこそ、節度を持たなければならないな、と思うのです。アマチュアでもプロでもね。

  *

何だか堅い話になってしまいましたが、要するに、こうして自分の言葉を簡単に発信できるって、すごく恵まれてるんだな、ということを思って、ハッとしてしまったのです。それこそブログもツイッターもなかった60年代と比べてね。

ホームページの方の拡充を積極的にしようと思ったのも、そのため。同じように文章を書くのならこのブログでもいいようなもんですが、「自分はこういう人間ですこういうのが好きなんです!」というのが、より伝わりやすいのかなと思ったのでね。……結構大変なので、ちょくちょく、というわけにはいきませんが……(苦笑)。

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先日、大桃美代子さんがツイッターで「自分の元夫と離婚したのはが麻木久仁子さんと不倫していたから」と発言したとして大騒ぎになったことがありました(今も大騒ぎ中なのかな)。何せスポーツ紙にドーンと載って、それがめざましテレビのエンタエンタCHo-KanDO!のコーナーで紹介されちゃったくらいですからね。

 これって、もし本人が書き込んだのだとすれば、それがどういった影響を及ぼすのか考えなかったのかな? って気もするし、誰かがなりすまして書き込んだのだとすれば、はた迷惑な話だし。いずれにしてもいい気がしません。

自分の独り言、ボヤキが世界中を発信し、それに共感して、ネット上でのつながりを感じる…コミュニケーションツールという横文字をかみ砕くと、こんな感じなのかな、と私は思いました。

 まあ、あとは即効性というか、臨場感みたいなのも、いいんでしょうね。こないだのバスジャック事件でも、現場からツイッターで実況中継されたというし。流行語にランキングもした「~なう」ってやつですよね確か。

 ……というか、そんな暇があったら何とかしろよ! と思うし、そうまでして誰かとつながりたいとも思わないし。そういうツール自体はすごく便利な、面白いものだとは思いますが、私はいらないかな。


かといって、誰にも読んでもらわなくたっていいんだ、わかる人がわかってくれればいいんだ、って言うのでは、わざわざホームページで公開する意味がありません。まあ、これはかつての自分自身の反省もあるのですが。

というのは、ホームページを作り出して間もない頃のこと。

 それまでも趣味で文章を書くことはありましたが、はっきり言ってそれは「自分が読むための」文章。誰かが読むことを考えない言葉遣いと内容の文章を公開してしまい……古館伊知郎のワールドプロレスリング実況中継ふうに言えば、「さながら猛省の無間地獄であります!」といった目にあったことがありました。これはホームページのご挨拶で書いている通りです。

 まあ、(ちょっと一般的ではなかったけど)思想を抱くことまでは、よかったと思うのです。描きたいものを描くと宣言し、それを受け入れられない読者からの批判にもめげずに最後まで貫き通したつりたさんは、商業的には難しかったでしょうが、私のように心を打たれてファンになる人をたくさん増やしました。

でも、それはつりたさんが私にも通じるような言葉で投げかけてくれたからであって、「誰かが読む」ということを考えなかった自分がいけなかったのだろう、と今は思います。

伝わりすぎるのもわかりづらすぎるのも、どちらも自分の言葉への配慮が足りないということ。誰にも止められず簡単に言葉を世界中の人に伝えられるからこそ、節度を持たなければならないな、と思うのです。アマチュアでもプロでもね。

  *

何だか堅い話になってしまいましたが、要するに、こうして自分の言葉を簡単に発信できるって、すごく恵まれてるんだな、ということを思って、ハッとしてしまったのです。それこそブログもツイッターもなかった60年代と比べてね。

ホームページの方の拡充を積極的にしようと思ったのも、そのため。同じように文章を書くのならこのブログでもいいようなもんですが、「自分はこういう人間ですこういうのが好きなんです!」というのが、より伝わりやすいのかなと思ったのでね。……結構大変なので、ちょくちょく、というわけにはいきませんが……(苦笑)。

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