今日は、東北新幹線がついに青森までたどり着いた、記念すべき日です。
もっとも、私は岩手県民。とすると東京から青森まで直通で行く人ばかりで、盛岡駅で降りる人がいなくなり、結果的に減収減益となってしまう『ストロー現象』を危惧するべき立場なのでしょうが……まあ、それよりも単純に、おめでたい気分です。
それというのも、やっぱり計画から実現に38年という、とんでもなく長い期間があったからでしょうね。38年前といえば……って、私は生まれてないですからね。えっと、西暦で言えば1972年ですか……うん、やっぱりイメージがないです(笑)。
で、これに関連して、今日は毎日jpの色々な関連記事を読みました。
東北本線と「はつかり」の時代 みちのく路の大動脈
こちらの記事によると、最初の最初(1891年/明治24年)はなんと26時間もかかったというから驚きです。一日24時間なのに、かかる時間は26時間! 物心ついた時から新幹線があった世代の私には想像のつかない所要時間です。
その後、1958年にようやく特急列車「はつかり」が出来て、蒸気機関車で11時間50分。そしてそして、1960年にようやく電化し、「みちのく」、夜行の「はくつる」「ゆうづる」「八甲田」「十和田」……と、あまり電車に詳しくないので思い入れは皆無ですが、ともかくそういった電車がふるさとへ向かう人々の夢と希望を載せていったりきたりしていた時代があったのだそうです。
その後1982年に東北新幹線が開通。その6年後に、生まれて初めて東京に行った時に乗ったのはグリーンの模様が描かれた「やまびこ」でした。この時点で、記事を書いた人とのジェネレーションギャップがありまくりです(笑)。
片道だけで1日以上かかる時代から、いまや(その気になれば)日帰りさえ出来るようになって。そんな時代の移り変わりとともに、食堂車とか寝台車とか、そういう余裕のある旅の風景はなくなってしまいましたが……そうやって浮いた時間を、それぞれの土地を歩き回ることに費やせるのだから、いいことだってあるよね。
あんまり電車に馴染みはないのですが、少しずつ、電車が好きな人の気持ちがわかってきた私なのでした(去年の秋に、三陸鉄道で久慈までのんびり鈍行道中を味わったあたりから)。
もっとも、私は岩手県民。とすると東京から青森まで直通で行く人ばかりで、盛岡駅で降りる人がいなくなり、結果的に減収減益となってしまう『ストロー現象』を危惧するべき立場なのでしょうが……まあ、それよりも単純に、おめでたい気分です。
それというのも、やっぱり計画から実現に38年という、とんでもなく長い期間があったからでしょうね。38年前といえば……って、私は生まれてないですからね。えっと、西暦で言えば1972年ですか……うん、やっぱりイメージがないです(笑)。
で、これに関連して、今日は毎日jpの色々な関連記事を読みました。
東北本線と「はつかり」の時代 みちのく路の大動脈
こちらの記事によると、最初の最初(1891年/明治24年)はなんと26時間もかかったというから驚きです。一日24時間なのに、かかる時間は26時間! 物心ついた時から新幹線があった世代の私には想像のつかない所要時間です。
その後、1958年にようやく特急列車「はつかり」が出来て、蒸気機関車で11時間50分。そしてそして、1960年にようやく電化し、「みちのく」、夜行の「はくつる」「ゆうづる」「八甲田」「十和田」……と、あまり電車に詳しくないので思い入れは皆無ですが、ともかくそういった電車がふるさとへ向かう人々の夢と希望を載せていったりきたりしていた時代があったのだそうです。
その後1982年に東北新幹線が開通。その6年後に、生まれて初めて東京に行った時に乗ったのはグリーンの模様が描かれた「やまびこ」でした。この時点で、記事を書いた人とのジェネレーションギャップがありまくりです(笑)。
片道だけで1日以上かかる時代から、いまや(その気になれば)日帰りさえ出来るようになって。そんな時代の移り変わりとともに、食堂車とか寝台車とか、そういう余裕のある旅の風景はなくなってしまいましたが……そうやって浮いた時間を、それぞれの土地を歩き回ることに費やせるのだから、いいことだってあるよね。
あんまり電車に馴染みはないのですが、少しずつ、電車が好きな人の気持ちがわかってきた私なのでした(去年の秋に、三陸鉄道で久慈までのんびり鈍行道中を味わったあたりから)。
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