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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
昔ある人が言いました。「この世を燃やしたって一番だめな自分は残るぜ」と。

自分で自分をいなくしてしまうことは無理なので、当分付き合っていくこととしましょう。


AC-130という、マシンガンとキャノン砲とたくさんの弾薬を搭載して地上の人間たちをジェノサイドする輸送機ベースの凶悪兵器を見ていて、そこから様々な兵器を眺め、さらにそこからアメリカの戦争系映画のことを見ていくと、つくづく自分と言うのは現実を受け入れられなさそうな人間なのだなと痛感しました。

「プラトーン」も、「フルメタル・ジャケット」も、「ハートブレイク・リッジ」も。どれもこれもベトナム戦争でひたすら殺戮機械となった米兵がそんな感じの場所で殺し合いをするものばかりで、決まってそこの新人教育係の古参の軍曹と言うのは、人格を破壊するところから始まるわけで、そういうのをまともに見ることが出来るメンタリティを私は持ち合わせていないようです。

もちろんそれは、私が80年代の日本に生まれ、平和な世の中を生きてきたからであって、その時代にその国に生まれてその時代に生きれば、受け入れられるものなのかもしれません。でも私はそんな戦争映画を見るよりも、もっと綺麗なものだけ見て生きたいんです。だから、私はやはり現実を見つめられるだけのメンタリティはないようです、と。

それでも、私が生きている間に戦争がテレビで放映されることはありました。ですがそれはレーダー(と、たぶんアメリカの偉い人たちの検閲)を介して、ビデオゲームのごとく正確で無機質なものにされたもので、ただ無邪気に戦闘機やミサイルの威力に驚嘆するばかりでした。


今でも兵器、たとえば戦闘機とか、ミサイルとか、個人用対戦車ミサイルとか、燃料気化爆弾とか地表貫通爆弾とかデイジーカッターとかとにかくでかい爆弾とか劣化ウラン弾とか成型炸薬弾とか7.62mmNATO弾とかといったものが好きで、好きなんですが、それが実際に使われる場所のことを考えると、その気持ちさえ罪悪であるような感じもし、実際にそんなものを使う場所に行くことさえも出来ないだろうな、と思うわけで。

……やっぱり、こういう話になるとまとまりませんね。すみません。やはり、メンタルな話をした方がいいのかもしれません。

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