坂口安吾の『白痴』(新潮文庫)を手に取ったのは、高校2年生のときでした。
古本屋だか古本市だかで見つけた色あせてボロい文庫版で、古い時代の装丁だから味気なく明朝体で『白痴 坂口安吾』と書いているだけで。
その頃は犬神もそれなりに自分のアイデンティティを模索していた時期で、身の回りの人々は煙草を吸ったりパチスロに行ったり万引き行為をしたり(発覚、停学処分に)して世間に反抗、「自分なり」を満喫していたのですが、私はそういった古い文学、一般の人が眉をひそめそうな文学を読んでやろうと思ったのが、きっかけでした。
そんな偏屈街道へ向けて駆け出した犬神にとっては、うってつけのタイトルでした。
携帯でもPCでも一発で変換できない、させないようにしている? この言葉。なんともたまらない響きです。
夏休み前の三者面談で、担任の女教師に向けて、自信満々に、
「最近は、坂口安吾とかを読んでますね……」
などと言ってやったのも、よく覚えています。
もっとも、その後フンと鼻で笑われて、「ああ、いかにもって感じだね。高校生らしいよね……」と言われたのは心外でした。あれ? そういうリアクションなの? というのが正直な感想。
実際、読んだことは読んだものの、犬神の当時の読解力ではその20パーセントほども理解できていなかったように思います。ただ「読んだ」という事実だけ。
そして、ある意味それで十分だったのかもしれません。
「おれはライトノベルなんかじゃ満足できない。やっぱり文学だね。坂口安吾とか、そういったものを読まないとイカンよ」
つって、そういう「読んだ」という事実だけを身につけてね。
で、今、29歳になって読み返してみると……
なるほど、コレは面白い。
当時はただ、ひとりの男がひとりの白痴女と出会い、暮らす物語である、といった程度の認識しか出来なかったのですが、主人公の思想や何やといったものをひとつひとつ読み解いていくと、恋に落ちるでもなく愛を深めるでもない、なんとも言いようのない不思議な心地よさを感じました。
まあ、私は評論家ではないし、文学オタクにすらなりそこなった「普通の人」ですから、あんまり難しいことは言えません。
でも、これは面白い。こうして読み返すきっかけにもなったから、当時この本を手に取ったことは無駄ではなかったと、当時の自分にちょっとだけ感謝したい気持ちです。
古本屋だか古本市だかで見つけた色あせてボロい文庫版で、古い時代の装丁だから味気なく明朝体で『白痴 坂口安吾』と書いているだけで。
その頃は犬神もそれなりに自分のアイデンティティを模索していた時期で、身の回りの人々は煙草を吸ったりパチスロに行ったり万引き行為をしたり(発覚、停学処分に)して世間に反抗、「自分なり」を満喫していたのですが、私はそういった古い文学、一般の人が眉をひそめそうな文学を読んでやろうと思ったのが、きっかけでした。
そんな偏屈街道へ向けて駆け出した犬神にとっては、うってつけのタイトルでした。
携帯でもPCでも一発で変換できない、させないようにしている? この言葉。なんともたまらない響きです。
夏休み前の三者面談で、担任の女教師に向けて、自信満々に、
「最近は、坂口安吾とかを読んでますね……」
などと言ってやったのも、よく覚えています。
もっとも、その後フンと鼻で笑われて、「ああ、いかにもって感じだね。高校生らしいよね……」と言われたのは心外でした。あれ? そういうリアクションなの? というのが正直な感想。
実際、読んだことは読んだものの、犬神の当時の読解力ではその20パーセントほども理解できていなかったように思います。ただ「読んだ」という事実だけ。
そして、ある意味それで十分だったのかもしれません。
「おれはライトノベルなんかじゃ満足できない。やっぱり文学だね。坂口安吾とか、そういったものを読まないとイカンよ」
つって、そういう「読んだ」という事実だけを身につけてね。
で、今、29歳になって読み返してみると……
なるほど、コレは面白い。
当時はただ、ひとりの男がひとりの白痴女と出会い、暮らす物語である、といった程度の認識しか出来なかったのですが、主人公の思想や何やといったものをひとつひとつ読み解いていくと、恋に落ちるでもなく愛を深めるでもない、なんとも言いようのない不思議な心地よさを感じました。
まあ、私は評論家ではないし、文学オタクにすらなりそこなった「普通の人」ですから、あんまり難しいことは言えません。
でも、これは面白い。こうして読み返すきっかけにもなったから、当時この本を手に取ったことは無駄ではなかったと、当時の自分にちょっとだけ感謝したい気持ちです。
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