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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 これは、『餓狼伝』の新刊が出ないために何度も何度も何度も読み返しているうちに思ったことです。

 この小説は、要するに空手家なりプロレスラーなりといった『強い』男たちが他の『強い』男たちと闘い、コミュニケーションを深めていくというあらすじの小説です。

 殴る蹴るなんてのは当たり前。腕をつかめば腕を折りに行き、足をつかめばアキレス腱を引き裂きに行くような世界ですが、グレート巽(アントニオ猪木がモデル)や松尾象山(大山倍達がモデル)といった最強クラスの世界では、目や耳に指を突っ込んだり男の釣鐘を蹴り潰したりと、そういった「えげつない」ことも平気でやります。

 『真剣勝負』という言葉を推し進めると、そういった世界になるようです。普通なら、相手の腕を折ってしまえばもう戦意喪失するのですが、この世界の人たちは片目片玉腕一本、勝利のためなら惜しくない……! というのが当たり前なのです。

 小説だから出来る世界でしょう。小説だから受け入れられる世界でしょう。私も読んでいるうちは、体温が2度くらい上がったような気がします(気持ち的に)。

 だからこそ、そこまでいけない自分は、現実世界ではそうすることもそうされることもない人生を歩みたい。そう思ったのです。逆説的ですが、人が人を殺すシーンを熱心に読み進めることで、人の命の重みを感じたような気がするのです。


 何でこんなことを思ったのか? というと……

 昨日のお昼のNHKで、2年前に繁華街でたくさんの人を殺し、傷つけた男の裁判のニュースを見たから。自分自身のことを冷静にみつめ、「3つの理由」から殺人を行った、という話をしたそうなんですね。

 話を聞けば、なるほど、きっとこの人はすごく頭がいいのでしょう。頭脳明晰なんでしょう。自分のことを客観的に見ることの出来るF田元総理みたいな人なんでしょう。私とは違うんです。

 でも、人を殺した。それもたくさん。

 どうして、そんなに淡々と人を殺せるの?

 そうすれば相手が死ぬ。はっきり確信して、どうしてそんなことが出来るの?

 そういったことをする被告人に、ぞくりとする恐怖を覚えてしまったのです。


 ただ、自分はどうなんだ、といわれると。

 もちろん、同じことをしたいと思ったことはありません。それは既に述べた通りです。

 でも、それがゲームの世界とかで、同じことをやるのがクリアの目的だったら?

 たぶん、私はためらいなく、同じことをやるでしょう。

 じゃあ、自分はその被告人とどう違うの?

 
……な~んて、こんなこと一日で結論できませんよ。大体、今この記事を書いているのも午前6時台ですよ。あくまで今日のこの記事は、「そう思った」ことを出来るだけ書きたかった。それだけです。もし続きがあるとすれば、私自身がこの記事を何度も読んで、アレコレ考えてから。

 ただ、チラッと思ったことがひとつありました。

 『餓狼伝』で相手の腕なり眼なり釣鐘なりをぶっ潰してでも勝とうとする人たちは例外なく『素手』だったんですよね。

 でも、先に書いた事件の被告人も車やナイフを使っていたし、AngelBeats!でも銃や刃物を振り回していたし。

 刺すだけなら殺せる。撃つだけなら殺せる。

 もしかすると、道具を使うとか使わないとか――そのあたりに鍵があるんじゃないのかな。と、『めざましテレビ』を見ながら薄ぼんやりと考えています。あ、perfumeの新曲プロモだ。今度の曲はなんだかいいなぁ。

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