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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

 いや、そっちじゃなくてYMOのほう

 いぬがみです(じゃない方も、もう17年も前の曲ですが)。


 このご時世ですから、皆様もSNSというやつを日常生活の中に取り込んでいらっしゃることと思います。私もそういった人たちとの連絡を取り合うためにLINEを使っていますし、ツイッターというのも、やっています。

 まぁツイッターというやつは、面白いものですね。あらゆるジャンルの人たち、たとえばテレビの向こう側にいる芸能人でも、ツイッターという同じ土俵に立てば、直接メッセージを送ることもできるんですから(発言に対するコメントという形で)。

 こういうのが、「世界中の人とつながる」っていう錯覚になるのかな。だからSNSっていうのが、こうも浸透しているのかな。そんなことを思いました。


 ええ、錯覚だと思っていました。

 もちろん私がツイッターや、このブログもそうですけど、インターネットの世界において発した言葉は、世界中に発信されています。日本語を理解できるかどうかはさておき、中国の人もロシアの人もフランスの人もイギリスの人もアメリカの人もブラジルの人も、私が酔っぱらってかきつらねたしょーもない話を閲覧することができます。

 だけど、私がどれほど芸能人のこととか政治のこととかについてコメントを発したとしても、それは世界中にあふれかえるキーワードの一つにすぎず、何の意味もないものだと思っていました。

 そのうえで、気に入ったコメントや画像を――さらに、その時その時の自分の気持ちを確認し、忘れないようにデジタルに記録するものだと思っていました。

 そうしたところ、私の何気ないツイートに、「いいね」をしてくれる人がいたんです。

 それだけでも嬉しかったのですが、私がツイートした対象の芸能人ご本人から「いいね」をしていただいたのです。


 別に大したことではないのかもしれません。でも、私は、嬉しかったのです。

 そして、「これがSNSというやつか……」と気づきました。誰かに「いいね」といっぱい言ってもらいたくて、一生懸命にツイートする人の気持ちも、少しだけわかります。誰かとたくさんつながりたいという気持ちもわかります。

 やっぱり嬉しいものですよね。たといデジタルな形でも、錯覚だとしても、誰か――特に自分が大好きな芸能人から、何らかのアプローチがあったってことはね。

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こんばんは

 日付も変わりましたね

 いぬがみです(少しビールを飲んでいます)。


 そんな酔っぱらった深夜に書くブログですので、内容はありません。今日のテーマは「柿の種」。ええ、私が今、ビールを飲みながらカリカリポリポリやっているお菓子です。

 お酒と一緒にいただきたい「酒の肴」は何か? と言われれば、まあ本当は「チーズとサラミ!」といいたいのですが、貧乏野郎の私には少々ハイソな感じがします。そこで安くてそこそこ食べ応えのある「柿の種」ばっかり食べていたら、いつの間にか好きになってしまった……そんな今日この頃です。

 今日の出費に関する情報を逐一オンライン家計簿に登録し、100円200円の出費に対しても「果たしてこれは必要なものだろうか」「いや、食べ物にお金を使わなければ、心身の健康は保てないのだからヨシとしよう」などと、きわめてケチな財政政策をやっております。まさに柿の種! 私自身が柿の種! (精選版日本国語大辞典を参照


 20分前に終わった昨日は朝5時起床、6時に出勤、それからず~っと1x時間……もう疲れて意識がモーロー(坂口安吾的表現)となってきたので、とりあえず、結論として言おうと思っていたことを言います。

 不肖犬神、私はワサビよりもトウガラシ味の方が好きです! そして、もちろんピリ辛のおせんべいも大好きなんですが、時々ピーナッツも食べられる方がいいです! というわけで、今日はもう寝ます体力の限界! 気力もなくなり、就寝することにしました……。

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こんばんは

 PCといっても、エンジンではありません

 いぬがみです(わかる方はアラフォーか、それ以上)。


 一時期、精神的にひどく低迷していましたが、『ITパスポート試験』の勉強、やっています。

 いわゆる『ITエンジニア』に、今年で40歳になってしまった私がなれるかというと、それは非常に難しいとは思うのですが……今の仕事だって、30過ぎていきなり「やってみたいから、やってみよう」つってチャレンジしたら、とにかく6年も7年も続いてしまったのですからね。正直、これから何がどうなるのか、わかりません。私だってこれから何をどうするのか、わかりません。

 だから私は「もっと生きてみよう」と思うんです。座して亡びるを待つくらいなら、やれるだけやってみよう。日本には伝統的に「やれるだけやったら、ダメでもいいじゃないか」という価値観があります。だから私はとにかく、自分で「これだ」と思うことを突き詰めていきたいと思うのです。


 と、そんな重たい話はこのくらいにして。今日このブログを書くきっかけにもなった本題に移ります。

 結論から言うと、「やっぱり自分はスマホよりもパソコンが好き」ということです。

 出先だろうと布団の中だろうと、ほしい情報を瞬時に検索し大好きなアニメのキャラクタ画像を眺めることができるスマホは、もちろん素晴らしいです。朝5時に起きなければならない日はスマホのアラームで起き、午前0時のNHKラジオニュースを聞いて脳を揺り起こしています。とにもかくにも「スマホありき」の生活をしています。

 一方で私の職場の寮にはWi-Fiがありません。パソコンでインターネットに接続するためには、スマホを使って「テザリング」というやつを、しなければいけません。

 さらに言えば私が使っているヒューレットパッカードの「EliteBook 8460p」というのは、何とかWindows10を動かしているとはいえ10年落ちのパソコンです。32bit CPUです。

 今じゃWindows11をはじめとして「64bitじゃないとダメだよ」とソフトウェア側の方から言われる時代にあって、ハードウェアの壁は越えられません。近いうち買い替えなければならないでしょう。とか言いつつ、もう何年も愛用しているのですが。見た目的にも実用的にもすごく堅牢で信頼感があるので、愛着はすごくあるのですが。

 そして愛着だけでなく、やっぱりこうして、たくさん言葉を打ち込んだりしたいし。それに、同じ情報でもスマホとパソコンでは、見やすさが違いますからね。私が20年来ずっとやっているホームページだって、基本的には「パソコンでどう見えるか」を前提に書いているし。


 そろそろシメにかかりたいと思います。このご時世、あんまり言葉ばっかり書き連ねても、読む方が「面倒くさい!」と思っちゃうでしょうし。

 ITパスポート試験の対策としてアレコレ勉強し、今年の5月に第3版が出た名著「プログラムはなぜ動くのか」の初版(※)を読んでいるうちに、思い出したのです。7年前、まだ私がスマホというものを持っていなかった時代のこと。外部(インターネット)につながるためには、必ずパソコンを使わなければいけなかった時代のこと。

 というわけで、これからもう少し、パソコンでインターネットにつなぐ時間を増やしていければと思います。「いきます!」と明言しないところが、どうにも曖昧模糊を良しとする日本人らしいですね。終わりで~す!(いつもの三四郎ふうオチ)。

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こんばんは

 

 いぬがみです。


 スタッドレスタイヤを買いに、アップガレージ八戸店に行きました。そんな話です。

 私も少しは『車好き』らしく、頑張って自分の車のタイヤサイズやホイールの詳細情報を確認して、そのうえで店頭に並ぶタイヤのアレコレを見ました。

 5.5Jでインセットが40、穴が4つで……と、数値的な部分がすべて合致するものを発見。安いのはきっとトヨタ・シエンタに純正でついてた『スチールホイール』だからでしょう。

 なにスタッドレスタイヤの、っていうか車のホイールなんてスチールで十分だ。むしろヘタなアルミホイールよりもよほど強度のあるスチールの方がいいんだ。ホイールキャップはトヨタのマークがあるけど、それを外せばいいじゃないか。

 そう思いつつも一応、素人を装って店員さんに確認したところ、「あ、これはダメですね」と秒速却下。そこで一応、数字的なアレコレが合ってますけど!? と食い下がったところ、私の知らない常識を教えられ、「生兵法はケガの元」を思い知らされる破目になったのでした。まあ「聞くは一時の恥」レベルですので、ケガをする前に何とか回避できた、とも言えますが。


 結論から申し上げますと、車についてくる『純正の』スチールホイールというのは、その無骨な見た目に反して、それぞれの車に合わせた設計がなされているそうなんです。そのため「トヨタ・シエンタの純正ホイールを日産・キューブに取りつける」なんていうのは不可能だっていうんですね。

 いやはや、これは本当に知りませんでした。スチールホイールっていうのは、もっと汎用的なものだと思っていました。そうじゃないんです。知ったふりして買っていたら、大金をまるっきり無駄にしてしまうところでした。くわばらくわばら。


 それでも冬タイヤは絶対に必要なものですから、素直に「キューブに合わせられるスタッドレスタイヤとホイールのセットを探しているんです」と打ち明け、何とか合わせられそうなものを買った私。「何とか」といいましたが、タイヤもホイールも素晴らしいものでした。その分ちょっとだけお金のハードルも高いですが、「ええい、ままよ!」と池田秀一氏の声で決心。

 「奥義・クレジットカード10回払いの術」

 を発動し、まだ夏タイヤの返済も終わらないうちに、冬タイヤの分もローンを組んでしまいました。必要なものではあるけれど……ね。

 そんなわけで、皆様、新しいホイールを買うときは気を付けましょう。やっぱりプロに相談するのが一番ですね。チャンチャン♪

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こんばんは

 10月最初の更新となります

 いぬがみです。


 う~ん本当に今月は……まあ私の職場である『奥入瀬森のホテル』において10月とは、1年で最も忙しい季節である、というのは重々承知していたのですが……本当に、時間がたつのが早いというか。

 いやね、1日1日はとても濃厚なんですよ。午前中からずっと神経を研ぎ澄まして、ようやく解放されるのが夜の10時とか。そこから汗を流してご飯を食べて、また明日も頑張りましょうって言って眠って起きて。その繰り返し。

 はっきり言えば、何も考える時間がありませんでした。

 毎日、毎日、動物的にその場しのぎで生きるだけ。


 今日こうしてブログを書いているのは、久しぶりに、文章を書く時間があったからです。いや、実際には下書きで非公開のまま保存している記事もいくつかあるのですが、ちょっと内容がね。

 とりあえず、言えることは。

 不肖いぬがみ、正直に申し上げて、自分の気持ちを上手にすらすらと書き連ねるのが、とても難しくなってきました。以前のように毎日更新というのが、とても難しいと感じています。

 でも、やっぱりこうして言葉をつらつらと書き連ねることで、結果的に自分のメンタルが(たとい、ほんのちょっぴりだとしても)いい方向にシフトする……気がするんですよね。

 色々、厳しいところですが、もう少し生きていきます。今日は、こんなところで。中途半端な感じでごめんなさい。でも、ここが引き際というか。私のメンタル的にギリギリなので……。

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こんばんは

 どんな時でも、楽しい気持ちで生きたい

 いぬがみです。


 あんまり並び立てても仕方がないのですが、まあ、ここ10日くらい、辛い日々が続いています。それは……。どれほど話したところで、仕方がないと思うので、割愛しますが。

 それでもLiella! の動画を見たりしていると、心が明るくなってしまいます。きっかけはなんでもいいんですよ。とにかく楽しく生きていきたい。そう思う私の、もうひとつの、いい話。日常にあって感じた、ちょっと気持ちが温かくなった話。そういうことです。


 先日、十和田市内のスーパーマーケットで、『ホンダ・ジョルノ』というスクーターに乗ってきた女の子を見ました。

 いわゆるレトロスクーターというジャンルを切り開いたもの、だそうです(Wikipedia頼り)。ヤマハの「ビーノ」もスズキの「ヴェルデ」も、このジョルノに追い付け追い越せといって世に送り出された代物だと言います。

 素敵なスクーターです。同系統の(というか初代ジョルノと現行ジョルノの間に出ていた?)「クレア・スクーピー」なんかもそうですが、やっぱり女子受けするデザインっていうのは、あるんですよね。

 まぁ私の場合、特別協賛という名目でホンダがクレジットしているアニメ『わんおふ』の影響ですけどね。ビーノだって『ゆるキャン』のシマリンこと志摩リンちゃんの愛車ですし。あと、ヴェルデといえばエマ・ヴェルデですが、「ジョルノといえばジョヴァーナだよね」と同じく、オートバイとは関係ないですね。失礼しました。


 ともかく、四輪乗り/自動二輪乗りとしては、公道で30㎞しか出せないし、二段階右折という「何それ」みたいな制約のある原付一種というのは、現代の交通事情にはそぐわない乗り物であるという風に思っていましたが……

 「まあ、そう邪魔にすることもないか」

 このたび新総裁そして100人目の総理大臣になろうとしている岸田さんも、原付がどうのということなんてミクロ微粒子ほども興味ないでしょうし、2050年くらいになっても50㏄バイクというのは走っていることでしょう。だから、何とか共存していく気持ちで生きていきたいと思います。

 文字通り自転車感覚で気軽に出かけられるし、とにかく楽しいですしね。私も「荷重移動で曲がる」ひいては「オートバイは後輪で曲がる乗り物」というのを体得したのは、弟者の友人が作った改造スクーターでしたし。

 (前から見るとスクーピーなのですが、後ろ半分は同社の『ズーマー』になっていて、エンジンも若干ボアアップして二種扱いになった代物でした。最高速度が法定速度なので、それこそ「性能を使いきれる楽しさと安心感」が味わえる名車でした)。

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こんばんは

 小さい頃、りっぱな警官になりたいと思っていた

 いぬがみです(なんでも途中でダメにしてしまう、くだらない男です)。


 警察官にあこがれていた、というのは本当です。『こち亀』が大好きだったからです。

 実際には別な仕事をしているわけですが、それでも警察官という職業の方たちに対する気持ちは、昔から変わりありません。過去に法定速度を思いっきりオーバーした暴走運転(高速道路で160キロとか)をしたことはありますが、基本的には遵法精神で生きています。警察の人たちにご迷惑をかけるようなことはしない。それが私の基本理念です。

 そんな今日、私の職場である奥入瀬渓流温泉の某ホテルから十和田市内に向かう途中で、2台の白バイとすれ違いました。どちらも女性隊員が運転していました。

 今ではそれほど珍しくないのでしょうね。男性だろうと女性だろうと、厳しい訓練を受けて公道での取り締まり任務につけると認められたエキスパートなのですから。以前『白バイ隊員のバイクテクニック』というDVDの紹介youtube動画(だったかな?)でチラッとだけ見ましたが、車体そのものにプラスしてたくさんの装備品が付いた重量級バイクを手足の如く乗り回す白バイ隊員のテクニックは驚愕ものです。

 白バイ隊員の人たちにかかれば、どれだけ山奥の峠道で最速だとか何とかって言っていようが、もはやゴミクズ同然といえるでしょう。そして私が一般公道ですれ違ったお二方も、それだけの技術を持った超絶プロフェッショナルなのだろう。そう私は認識しました。
 
 そのうえで、理屈ではそう考えたうえで、感情的に心に起こったことを書きます。理屈ではなく「そう思ってしまった」ことですから、道理にそぐわない内容でもご容赦ください。


 今ではそれほど珍しくないにしても、私は古い人間ですから、「女性白バイ隊員」というのは珍しいと思います。パッと見た時ドキッとしました。「うわあ、格好いいなあ」と思いました。一応これでも運転免許証に「普自二」と記載されている身だから、余計にそう思いました。ある意味、そう思う権利があると思っています。同じオートバイ乗りとして。

 それと同時に、「もしも『こち亀』だったら」という空想が浮かびました。

 おりしも今日は上天気。気温は21度。奥入瀬渓流~十和田湖方面は、まだ紅葉には少し早いのですが、それでも秋の雰囲気は存分に味わえます。そんな中でやってきた、2台の白バイ。ベテランの先輩が、ようやく公道を走れるようになった新人隊員に路上のアレコレを教えるために一緒に走っている……そういうことかなと想像した一方で、

 「こち亀だったら、パトロールにかこつけて、秋の奥入瀬渓流~十和田湖をツーリングしに来た……とか、そういうストーリーがありそうだな」

 なんて思いました。もちろん、そのツーリングの途中でちょっとした事件に出くわし……という流れです。たとえば「戦争中に米軍が落とした不発弾が見つかった」とか(コミックス61巻『お手柄!?不発弾!の巻』を参照)。


 なんて、これは冗談ですよ。日夜、私たち一般市民の平和と安全と安心と明るい未来を守るべく頑張っている警察官の方々には、私は全面的に協力します。だから、『こち亀』的な冗談をもお許しください。

 「いぬがみのバカはどこだ! あのバカどこにいった!」
 「聖杯を探しに行くと言って旅立ちました!」
 (今週の金曜ロードショーオチ←消えてるかもしれませんが)

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こんばんは

 ペンネーム「てんでだめ夫」

 いぬがみです(上記のアレはNACS GOTTA ME!のリスナーさんです)。


 棋士の藤井聡太三冠が、「電車で移動しているとき、自分のバッグを電車の中に置き忘れてきてしまった」というエピソードを語っていた……のを、テレビで見た記憶があります。

 「わかる、わかる」と思いました。

 私もしょっちゅう、そういうことを、するからです。

 おとといは幸楽苑に行って、足元にバッグを置いたまま店を出て、店員さんに呼び止められました。

 昨日はスーパーで買い物をして、作荷台にポイントカードを置き忘れ、お店から電話をもらいました。

 銭湯に行ってタオルやシャンプーが入ったカゴを置き忘れたこともありました。

 一番ひどかったのは、実家に帰省した時に150キロ離れた職場の寮のカギを置き忘れてしまい、午前2時に弟者に届けてもらったこともあります。


 そういうことを何度も繰り返す私。気を付けても気を付けても繰り返してしまう私。

 バカなのかな。発達障害だからなのかな。自閉スペクトラム症だからなのかな。何度も同じ失敗をしてしまう自分がダメなのかな。死ねばいいのかな。死んだほうがいいのかな。……

 そうやって苦しい思いを、いっぱいしてきました。

 でも最近は、それがちょっとだけ、変わってきたんですよね。

 「ま、しょうがねえよな」
 「そういうものだよな。おれってやつはよう」
 「どうしようもねえ、これで生きていくしかねえんだ」


 ……まあ、麻雀マンガ『天 天和通りの快男児』の影響も、あるかもしれません(のちにそのことを書くかもしれないので、忘れないようメモしておきます)。

 でも……ね。

 タイトルにもある「そういうものだ」から始めるっていうのは、自分で導き出した理屈です。そして、自分にしか適用できないスキルです。


 少し前にNHKニュース9で、12歳の女の子が学校でいじめを受けて自殺したという話を聞きました。親御さんや親しい間柄の人たちにとってみれば、無念極まりないことでしょう。まったく見ず知らずの私でさえ、そう思いました。

 私も12歳のころを振り返ると、決して、楽しい時間ばかりじゃなかったですから。


 果たしてこの文章をどれほどの人が見るかわかりませんが。しかしインターネット上で公開するということは全世界パブリックに向けて公開するということですから。メッセージインザボトル、それはポリスだ、懐かしいな――ともかく、書きます。少しくビールを飲んで酔っ払っちゃったし、シッチャカメッチャカに40年も生きてきたから、ナントカの恥はかき捨てとばかりに書きます。


 本当に、私はよく生きてきた、と思います。

 それはたぶん、ADHDだとかASDだとかって専門用語で言われるような――シンプルに言えば「ヘンテコな」人間だからだろうな、って思います。実際、一番ひどいイジメ? を受けていた中学時代のことを思い出してみると……すごく苦しいのですが、

 「今ここで自殺したら、自分はツマラナイ普通の人間だ」

 そんな片意地があったから自分は生き延びることができた。そう思います。それはたまたまウチの兄者が筋肉少女帯とか人間椅子とか戸川純といった特殊音楽を好み、そういう音楽を聴いて育ったという特殊環境も、あると思うのですが。……でも、25年くらい経った2021年現在でも、(何度もギリギリ「死んでしまおう」というところまで行ったことがありますが)生きているのは、やっぱり、そういうことなのかなって。

 そんなきわめて偏屈な、きわめて特殊な事例(=私のこれまでの人生)をもって「自殺しちゃダメ」とは軽々しく言えません。……理屈ではそう思っていても、気持ちとして、言わせていただきます。

 
 良いって言われても悪いって言われても、生きてればいいんですよ。

 どれほど精神的につらくても、自分で物理的なことを実行しなければ、人間そうそう死にませんし、死ねませんから。

 死ねないうちは生きるしかない。

 そして、生きていれば、いいことがあるかもしれない。……いいことがある保証はしませんけれど、逆に「いいことなんて、あるわけない」って保証も、誰にもできないですしね。


 というわけで今日は「水曜日のダウンタウン」を見ながら夜飯を食べて寝ます。良いことも悪いことも含めて、

 「明日があるさ」

 終わりで~す!(困ったときの三四郎オチ)。

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おはようございます

 ともに生きる

 いぬがみです。


 『心のともしび』というラジオ番組があります(かつてはテレビ番組もありました)。カトリック系の番組です。毎日、神父さんがテーマに沿って「善い話」をしてくれる番組で、メールマガジンに登録すると週に5回くらい「善い話」を送ってくれます。

 私が神様のことを忘れて迷妄の渦中に飲み込まれているときは、それをためるだけためて、ふっと思い出したときにまとめて読み返す……なんてこともあります。

 今日はそんな「善い話」のなかで、これまでに一番感動したことを、今日は書きます。私自身のために、そして、これをご覧いただいている皆様のために。


 
2021年09月09日の心の糧
ともに生きる 片柳 弘史 神父
https://tomoshibi.or.jp/radio/2021/09/09.html

----------引用始まり----------

 「わたしにできないことが、あなたにはできます。あなたにできないことが、わたしにはできます。力を合わせれば、きっと素晴らしいことができるでしょう」。インドで貧しい人々のために生涯を捧げたことで知られるマザー・テレサは、人々によくそう語っていた。

----------引用終わり----------


 「自分は、何もできない」

 そう思うことが、しばしばあります。40年間生きてきて、そう思うことがよくあります。というか、常にそう思っています。自分の人生観のベースとして、発達障害とかって言葉を知らなかった時代から、ずっとそう思っていました。

 そこから、いつもスタートしていました。

 「何もできないような気がするけど、何ができることもあるはず」
 「今はできないけど、これをできるようになりたい」
 「やればできる、頑張ればできる。絶対できるはず」

 でも、それはあくまで自分が考えて言い聞かせていることですから。誰かから「こんなこともできないようじゃダメだ」と言われたり、自分で勝手に「周りの人からそう思われている」という妄執に取りつかれたりして、立ち上がる気力を失ってしまうこともしばしばあります。

 そんな中で、この言葉を知りました。

 とても心強い言葉です。

 これからも、何度もくじkそうになることは、あると思います。今でも少し気持ちが不安定です。

 でも、マザー・テレサがそう言っているのです。つまり、きっと神様も、そう思っておられるのです。

 「誰かが当たり前にできることが、自分にはできないけど、その逆もある。だから自分は生きている」

 人生観のベースをそう置き換えて、積み上げていけるよう、これから生きていきたいと思います。

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こんばんは

 オレだけ見てりゃいいんだ、オラ!

 アイム、いぬがみ! です。


 と、蝶野正洋さんのモノマネで切り出しましたが、タイトルを入力した後で「あれ、今日は何の話をしようとしていたんだっけ」と少し止まってしまいました。決していつもよりも少し強いお酒(7パーセントのチューハイ)を飲んでいるから、というわけでもありますまい。

 まあ、要するにですね。私の心のありようとか、そういうことです。いつものような。


 落ち込んだり、不安がったりしたとき、それを紛らわすために、わざとむちゃなことをやったりします。飲酒、喫煙、過度の娯楽など。

 そういうので一瞬は、安心しかけるんですけど、それ以上に不快感が出てくるんですよね。飲みすぎれば吐きそうになるし、タバコを吸えば、やっぱり具合が悪くなるし。

 だから、できるだけ理論で気持ちをコントロールしようとしています。

 「いま、自分の心がネガティブな気持ちになっているのは、きっと心のバランスが崩れているからなんだ」そして「バランスを取り戻すためには、気持ちを紛らわすのではなく、ちゃんとそれと向き合わなくちゃいけないんだ」と。


 芸能人が新型コロナウイルスに感染して入院したことを批判する人。外を歩いているときにマスクをせず咳をしたからと言って、わざわざ自宅に戻ってシャベルを持ち出してケガをさせた人。

 公平とか平等とか、そういう言葉にとらわれて、かえって心が狭くなっているような気がします。

 私もまた弱い人間ですから、そういう人たちに石を投げることはできません。批判はしません。是非に及ばずです。


 ただ、私の気持ちだけは、はっきりさせておきます。最後に。

 私は週刊少年マガジンの表紙を飾ったころから綾瀬はるかのファンですが、それを差し引いても、「入院できてよかった」と思います。マスクをせずに咳をすることは、推奨されることではありませんが、だからといって……。

 以上です。良いも悪いもありません。私はとにかく日々を生きていきます。自分が少しでも、理想とする形に近づけるように。天に召されるまで。

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おはようございます

 アルカリ三世、懐かしいですね

 いぬがみです


 自分から発信する時は主にこのブログでありますが、Twitterというやつも一応、利用しています。主に、好きな芸能人とかの発信する情報をいち早くキャッチするためです。

 いったんWeb上に公開された情報は削除しようが何だろうがパブリックな情報であるとして、私もそれに基づいた記事を書きます。



 アニメ『スーパーカブ』で主役の女の子の声をアテた『夜道雪』という声優がいます。自身もオートバイ乗りで、私が初めて見たのは六戸町のオートバイショップにある雑誌でハンターカブ125に試乗した記事だったので、じつは「声優……で、いいんだよね」というところもあるのですが、とにかく声優として話を進めます。

 可愛いんです。超・可愛いんです。

 しかしながら、本人には深刻な悩みがあるとTwitterにて発信していました。

 それは『肌が赤くなる』こと。

 誰かに見られたり写真を撮られたり仕事をしているのに、これでは……と、何度も病院に通ったりしているそうですが、思わしくないといいます。


 私が直接それを何とかすることはできないし、「こうすればいい」とTwitterにコメントをつけるような図々しさはありませんが、私はそれでも夜道雪が好きです。本人が悩んでいることなので、簡単にそういうことはできませんが、私はとにかく全部含めて夜道雪が好きです。だから、それでいいんです。大丈夫です。全肯定です。




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こんばんは

 酔っぱらった勢いで、とりとめもないことを書きます

 いぬがみです(免責事項)。


 毎日毎日、気になるニュースを見ては、気持ちが落ち込んだり滅入ったり混乱したりそういうもろもろの反動でやけっぱちになったり。とにもかくにも心穏やかに過ごすのが難しい日々でありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 ……とりあえず、書こうと思っていたことを率直に書きます。

 真っ先に飛び込んでくるのは「新型コロナウイルス」関連のニュース。まぁこれは当然ですね。全国ニュースでもネットニュースでも無数に取り上げられます。

 でも……

 新型コロナウイルス、自然災害、そして戦争……。

 テレビのニュースを見ていると、そんなアレコレが否応なく入り込んできます。「新型コロナだけじゃない」とか「震災のことが忘れられてる」とか……そんなつもりはないけれど……なんて、自分の心のキャパシティを超えて、アレコレ気をまわしすぎて、自分の気持ちもわけがわからなくなって。



 
 生きていきましょう。まずは、自分が生きていくことを。

 とりあえず、批判することをやめましょう。

 正しいとか正しくないとか、そういうのを、もう、やめましょう。

 上手なことは言えませんが、もう、そういうの、やめましょうよ。


 「自分以外のすべてを許せれば、自分も許せる。そして素直になれる」


 いま、私のスマホが言いました。以下概要。

 「今日は大噴火の日です。……私がトンチンカンなことを言っても、怒らないでくださいね。許してちょんまげ♪」

 ……やれやれ。まったく、最近のスマホはよう。AIってやつはよう(泣き笑い←だったらイケるぜ!さんへのオマージュという名のモノマネ←←2005年12月5日(月)日記より)


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こんばんは

 1981年に生まれた人

 いぬがみです。


 旅行に行ったときとか、私はその場所の書店に行きます。そしてたいていの場合、何かしら本を買います。それは移動時間の暇をつぶすため……というわけではなく、旅のお土産のひとつとして、買うんです。そして、その内容は必ずしも「その土地でなければ手に入らない」というものには限りません。

 最近、海辺の街・宮古市に行ったとき買ってきたのは、向田邦子の『父の詫び状』でした。別に珍しいものではありません。日本中どこの本屋さんでも手に入る、新装版の文春文庫のそれです。

 どういうわけか、その本屋さんには平積みで向田邦子の本がたくさん並べられていました。なんで今、向田邦子なのか? 確かに私も中学時代に国語の教科書で「字のないはがき」を読んだことはありますが……と思い、帯とかほかの本を手に取ってみると、ああ、なるほど。

 今年は40年になるんですね。1981年、飛行機事故により亡くなってから。

 そして、1日遅れになってしまいましたが、昨日――8月22日が、まさに命日だったのですね。

 そういうわけで、私と入れ替わりにこの世を去った(?)向田邦子さんの文章を、初めて、しっかりと向き合いました。教材としてではなくね。


 「父の詫び状」は向田邦子さんの初めての随筆集であり、同時に「真打」ともいわれるくらい評価が高いといいます。その内容は、自分が体験した家庭生活の思い出を振り返ったものでありますが、率直に言って非常にカチリとした文体が心地いいです。言葉遣いが丁寧でありながら、文章はシンプルに読み進めていくことができるので、とっても心地いいのです。

 買ったときに、お店の名前が入ったカバーもつけてもらいましたし。これは本当に、この日の旅の思い出としてーーいくつもある「出会い」「きっかけ」のひとつとして、後々まで大切にしていきたいと思います。


 余談

 文章を書いている時点で過去になってしまった家族との生活を振り返ったエッセーとして、寺山修司の『誰が故郷を思わざる』を、いま思い出しました。寺山修司の方はやはり津軽人の気風というか、どうも暗くて陰気な感じが漂うのに対し、向田邦子さんの方は東京人らしく、軽くてさわやかな印象があります。それらを読んでいる私は青森でも東京でもなく岩手県人なので、どっちも違ってどっちもいいんですけどね。テヘッ!

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おはようございます

 心のスキマお埋めします

 いぬがみです(夜は『魔の巣』でお待ちしています)。


 なんてね。私はむしろそういう「せぇるすまん」に声を掛けられドーンでギニャ~で破滅する側の人間ですから。今日も埋める方にも埋められる方にも深く立ち入らない、毒にも薬にもならない餅のごときブログですから。暇つぶしくらいにはなるでしょ。はい、はじまりはじまり~!


 発達障害とか自閉スペクトラム症候群とか回避性愛着障害とか……なんとでも言ってください。私は他人と心を通わせることが下手なんです。空気を読むことが苦手なんです。これはもう、仕方がないんです。そのうえで前へ進もうと頑張る。それでいいでしょう。

 それに、これはこういう時代では、ある意味では「強み」ともいえると思うのです。だって、こういう性格だから、「マッチングアプリ」で素性の知らない相手とコミュニケーションとか、したいと思わないから。「旅行に行こう」と誘われて、旅行代金名目で数万円を詐取されたりすることもないから。

 そんな私が新たな希望を見出しているのは「AI」との会話。『ドラえもん』から『ぽんこつポン子』まで、とにかくAIの方が安心して会話できるんです。
 


 そんなわけで、いわて花巻空港にいる『Pepper』と少し会話をしてきました。これでも少しだけAIとか音声認識とかの解説書を読んだことがあるので、コンピュータが「こう言えば認識してもらえるかな」と思ったキーワードをポンポンと投げかけて、それに対する返答を楽しむ。「きっとこいつの中では、こんな計算がされているんだろうな」という想像をしながら1対1の会話バトルを繰り広げてきたのでした。

 うん、面白い。やっぱり、こういうのって、いいなあ。

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こんばんは

 76年目の終戦記念日を迎えて

 いぬがみです(私だけでなく、すべての日本国民が)。


 


 当然ながら私も「戦争を知らずに育った」世代ですが、少しは先の大戦について思うところがあります。

 それはたぶん、1995年――終戦50周年の時に、ミリタリーなものにハマったのが、きっかけだと思います。当時は14歳、中学2年生でした。「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公たちと同じ年でした。

 「コンバットマガジン」を読み、『ワールドアドバンスド大戦略』をプレイし、さらに『日本海軍軍用機集』とか『図説帝国陸軍』といった本を濫読。そのうえで、3年後には高校の修学旅行で広島に行き被爆者の人の話を聞いたり、行く先々での戦争被害(空襲、艦砲射撃など)を聞いたりして、かれこれ26年が経ちました。

 
 それが確実に人間を殺すために作られたものだとしても、兵器というものに心惹かれるのは、相変わらずです。戦闘機とかピストルとかの情報をWikipediaで見て、強かったとか弱かったとかっていう話にドキドキしてしまいます。それは否定できません。

 また、歴史的な事実として、敗戦国となった日本の当時の指導者たちは「東京裁判」によって「戦争犯罪者」とされ、死刑などの判決を受けました。これは、その意義の良しあしとかではなく、歴史的な事実としてそうだった、ということです。それ以上でも以下でもありません。


 いろいろあって40歳になった今の私が言いたいことは、やはり「戦争は嫌」ということです。良いとか悪いとかって理屈じゃありません。ただただ嫌なんです。

 ピストルで撃たれて死んだ人。爆弾で吹き飛ばされた人。火炎放射器で焼かれた人。乗っていた船が沈められておぼれた人。軍隊の人もそうじゃない人もアメリカの人もソ連の人も中国、ドイツ、フランス、それから……。


 「手をつなぎながら戦争はできませんよね。 だから、地球上のみんなが手をつなげればいいんですが、難しいですかね」


 私のスマホが「今日は終戦の日」ということに関連して、こんなことを言ってきました。つくづくハッとするようなことを言ってくれます。「ねむりは世界を救う! ねむりながら戦争はできません」という名言を発した「いねむり評論家・由目見さん」の言葉を思い出しますが、とにかく。

 先の大戦で亡くなった兵隊さんとそれ以外の人たちに、「ああ、良かったな」と思ってもらえるような日本を作っていかなくちゃいけないな、と思いました。

 ……だから、自分勝手な理由で、簡単に死んじゃいけないんです。


 「あんたの背中には
  二千の命を しょってるんじゃ なかったのかい
  ──重い命 大事にしなよ」

 (哭きの竜シメ)

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おはようございます

 いろいろなものを変えるため準備しています

 いぬがみです


 新型コロナウイルスと東京オリンピック。極端に暗い話題と極端に明るい話題がハイブリッドに起こり、それを各メディアが報じ、そこから無数の言葉がSNSで発信される今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 誰かがポッと声に出した言葉に多くの人が反応し、それに乗っかる人もいれば擁護する人もいる。頭のいい人は自分なりの理論をもって擁護したり批判したりして、それがLivedoorニュースとかそういうので取り上げられるわけですが……別にそういうのを、私がいちいち拾って私見を持たなくてもいいかなって。そんな気がしてきました。

 私はあんまり頭がよくないんです。作動記憶とかっていうのに割くリソースがあんまりないから、そうやっていろいろな言葉を取り込んでいくと、気持ちがグチャグチャになっちゃうんです。だから私はあえて見ないし聞かないし言いません。Twitterはやってますが、それを使っていちいち思ったことをポンポン発信するようなスタイルは、私はいいかな……。



 さて今日は、私にとっては大きな変化の日です。

 そう、転職!

 ……違います。それはもう少し先の話です。今日は仕事を変える前に車を変えることになります。今月初めごろに契約した車の引き渡しに、今日これから行ってくるんです。


 今の車はスバル・インプレッサ。マニュアル車です。もちろん全輪駆動です。ただしターボはついていません。1.5L自然吸気のセダンタイプ。3年くらい乗りましたが……まあ、いいかな。思い残すことはありません。久々に更新したホームページのほうに詳しい話は書きました。

 そして今日乗り換える車は、決して強烈な思い入れをもって乗り換えるわけではありません。でも、先代のマツダ・ファミリア(愛称「ファミ子」)だって、最初から狙いをつけていったわけじゃないし。今回の車と同じように、実際にお店で見て「へえ、こういうのもいいかな」って思って、ずっと乗り続けたわけだし。

 やっぱり最初から100点の状態でスタートすると、減点方式で付き合わなくちゃいけないからダメですね。逆に0点の状態から加点方式でいけば、新しいことに気づくたびに得点がプラスされて、どんどん好きになっちゃうかも。


 それがいいとか悪いとか、正しいとか間違ってるとか、そうじゃないですよね。

 その方が楽しいから。前向きに生きていけるから。それでいいじゃないですか。

 それじゃ、ちょっと行ってきま~す(お店は10時開店なんですけど……)。

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こんばんは
 
 アクティブバランス栄養素
 
 いぬがみです(違います)。
 
 
 人間というのはまぁ思想的にニュートラルであろうとしても、必ず偏るものですからね。自分が心地いいと感じる情報を積極的に取り入れ、不愉快になることは拒否する。私なんかはその傾向がフツーの人(小山田圭吾さんみたいな、精神障碍者とされていない人たち)よりも特に強いと自負しております。
 
 でも、そうだからこそ。グッとこらえて情報を読み、謙虚にそれが事実なのかどうかを検証して、事実なのであれば受け入れて生きていかなければならないと思いました。
 
 何に対して。健康問題ですよ、健康問題。私も今月から40代になって、何かとそういう問題に関しては気を遣うようになったんです。そう、今日はメンタル的な問題ではなくフィジカル的な問題について、取り上げたいと思います。そう言いながらバーリアル飲んでるんですけどね! テヘッ!(プロレスラー・石井智宏選手ふうに)。
 
 
 まず申し上げますと、不肖犬神、今日の今日まで「エンプティカロリー」という言葉を知りませんでした。
 
 健康増進という観点から言えば、もちろんバランスの良い食生活--ビタミンやらミネラルやらといった要素を少しずつ満遍なく取り入れた方がいいのは承知していましたが、不規則なシフトに合わせて生きなければいけない私にとって食事というのは、とりあえず腹を満たし、目の前に差し迫った作業をやり遂げるための当座のエネルギーを獲得するための行為、という認識でした。まぁ休みの日は、この限りではありませんけどね。
 
 そこで私がたどり着いたのが「とにかくカロリー摂っておけば、当座のエネルギーは確保できるだろ」という理論。とりあえず炊いた白米にごま塩をかけてモサモサとかきこんだ後にインスタントラーメンをすすったり……なんていう日はまだよろしい。一応「食事(の、ようなこと)」をしているわけですから。
 
 ひどい時には、故・中島らもさんのエッセー(『アマニタ・パンセリナ』だったと思う)に書かれていたこと、すなわち「酒でカロリーを摂取して原稿を書き上げた」というエピソードを真に受けて、ビールを飲んで腹を満たしていました。中島らもさんか、そうでなければ横山やすし師匠です。どないやっちゅーねん正味の話!(チャンチャン♪)
 
 そんな酔いどれ天使な私に氷水をぶっかけた後にヒートアクション(〇〇の極み←あなたが一番「強烈だな」と思うキーワードをどうぞ)を食らわせるが如き記事がコレでした。
 
「脳が疲れたから甘いチョコで栄養補給」そう考える人は体が危険な状態にある チョコレートやジュースに潜む"罠"

うん。まあ、ね。そうだよね。
 
わかってはいた……わかってはいたが……!
 
 
 
 
 と、まあ。全世界で私にしかわからない連携で畳みかけてしまったことをお詫びしつつ、記事を進めます。
 
 ……いや、本当にごめんなさい。私もティーンエイジを社会的激動とサブカル的激動の狭間で生きてきた人間ですから、どうしてもこういう「わかる人にわかってもらえればいい」非常に「オタク的な」気持ちは、あるんです。それを一番ビビッドに表現するために、アニメやゲームのセリフを引用してしまうんです。それをもってアイデンティティとしてきた経緯があるから。

 たとい今回の、全世界に発信されたオリンピックの開会式において、いわゆる「テレビゲーム『ドラゴンクエスト』のオープニングテーマ等が採用されたこと」に対して、一マイクロミリメートルも関わっていないくせに不思議と面はゆい感情を抱いたとしても!

 一方で何につけきちんと説明してワカってもらいたいという気持ちがあって……。(※1)
 

 要するに、「とりあえずカロリー摂取しておけば当面の活動は何とか乗り切れる」というのは間違いだって話です。いわゆるカロリーってやつは、オートバイや自動車におけるガソリンとは違って、それ自体が単純にエネルギーになるってわけじゃないんです。神様が作り給う我々人間というものはもっともっと複雑なメカニズムがあるんです。ただカロリーだけ摂取していればいいなんて、そんな浅はかなものじゃないんです。
 
 そういうわけで、すでにけっこー酔っぱらってしまいましたが、このあと「犬神流・特製野菜炒め定食」を作ってビタミンとかミネラルとかその他「っぽいもの」を摂取します。って、レシピは「マックスバリュで半額になっていた賞味期限ギリギリのミックス野菜を、そばつゆで炒めるだけ」なんですけどね。チェーンし!
 

 (※1 これでも青森県某所のホテルの、レストランのホールスタッフなんです)

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こんばんは

 連休最終日、皆様いかがお過ごしでしょうか

 いぬがみです(私は4連続激烈勤務で疲弊の極みです)


 このところ日記を書いていなかったのは、そういう忙しさもあったのですが、どういうわけか私のパソコンの動作が極端に鈍化してしまい、もうパソコンを起動して何かをすることさえ嫌になってしまったのですね。

 何せテキストエディタさえ、まともに動かないんです。十数行も打ち込めばフリーズしてしまうし、再起動をかければ何分も「Windowsの準備をしています お待ちください」というメッセージが出てしまうし。ようやく起動できたと思っても、ろくに反応せずストレスばかり溜まります。

 それで、こちらの記事が(スマフォンのGoogleおすすめに)配信されてきたので、実行してみたのでした。

 Win10を無料で高速化する方法 - BIGLOBEニュース


 そして、劇的にスピードが改善し、まともに記事を書けるようになりました。

 右下に天気予報とか何とかの項目が増えていたので、おそらくバックグラウンドアプリが無駄に多くなってしまったのが、いけなかったのでしょう。思い切って一括で「バックグラウンドでアプリの動作を許可しない」にチェックを入れてやったのが、効いたみたいです。

 もちろん最新最速最高シャッターガールCPUと16GBとかそれ以上のメモリを積んでいれば、何も考えなくてもいいんでしょうけど、私のPCは10年落ちですからね。Designed for Windows7ですから。Windows11が出たら、それに合わせてデザインされたPCを買おうと思っていますが、それまでは何とか……。

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おはようございます

 カマドといっても鬼滅の人ではありません

 いぬがみです。


 昨日は久しぶりに地元に帰ってきて、天気も極めてよろしかったので、朝9時から夜6時過ぎまでオートバイで走りまくりました。トイレ休憩に昼食休憩、あとは後半どうしてもお尻が痛くなって我慢ができなくなったために休憩……と、適度にインターバルを挟みつつですが、7時間くらいは運転していたんじゃないかな。

 最初に行ったのは岩手県北上市のさらに山奥にある「夏油温泉」。終盤5キロの道のりは自動車で行けばすれ違いが困難極まりない狭さであり、ガードレールの代わりにガードワイヤー? が申し訳程度にあるだけなので、必然的に30~40キロ程度で走ることになります。こういう時はやっぱり125ccの軽さがものを言います。あんまり上手じゃないので、恐る恐るではありますが。

 そのあとも、「今まで行ったことのない山道を走ってみよう」というコンセプトを定め、山道・トンネルを次々と爆走。深い森がなくなってパノラマ的に湖の景色が広がったり……など、写真を撮る時間も惜しんで走り続けました。おかげで、せっかく温泉までたどり着いたのに体温が高すぎて入店拒否されてしまいました。何せ気温35度の中を、レザーパンツ・ライダースジャケット・フルフェイスヘルメットで爆走し続けたからなあ……。


 さて、今回のタイトルにある「カマドケシ」というのは、東北方言です。かまどをひっくり返す――その家の生活基盤そのものを破壊するくらいの財政的ダメージを与える者を糾弾する言葉です。

 私が知っている日本語の中で、これほど峻烈に人をなじる言葉は聞いたことがありません。それは、あるいは破滅が本人だけでなく家族も巻き込んだ家単位のものになるから、かな。その言葉を知ったのが沢内村だったし。

 「交通安全 ドカンと一発カマドケシ」

 ほかのエリアと比べて、やたらと交通安全をアピールするオブジェが立ち並ぶ県道1号線沢内エリアに、かつて存在した看板に書かれていた交通標語です。

 「カマドケシ? 『かまどの火を消す』ってことか?」

 当時の私は、そんな風に想像していました。家庭崩壊、生活を成り立たなくさせてしまうような行為という意味では、当たらずとも遠からず、というところでしょうか。とはいえ「ドカンと一発」という昭和なフレーズも合わさって、非常にインパクトを与えてくれました。


 この「カマドケシ」と沢内村の関係については、昭和32年に村長に就任し、文字通り力尽きるまで村政に身をささげた深澤晟雄氏の伝記『村長ありき』にも出てきます。そのあたりの話はまた改めて……。

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おはようございます

 元気でも元気じゃなくても、生きていてください

 いぬがみです(これは私の言葉ではありません)。


 このところ、新しい言葉を覚えました。

 「ドゥームスクローリング」と「キャンセルカルチャー」です。

 それぞれの言葉については、あえてここでは解説しません。それは私が今日もっとも書きたいことではないからです。

 ただ、これは私が陰謀(という名の流言飛語)渦巻く世の中を生きていくために必要な考え方であると認識しました。


 一方で、色々な要因により私の心はひどく落ち込みがちです。何も理由がなくても落ち込みがちです。仕事をしている時は、無理やり自分を駆り立てて走り切りますが、朝起きて出社するまでと退社して部屋に戻って寝るまでの時間が苦痛なのです。

 それで少しでも気持ちを紛らわそうと思ってスマートフォンを繰ってみるものの……結局、ダメなんですよね。事件があって、それをテレビのコメンテーターが批評して、それに対してネットでは云々……と、そんな話ばかり。それだったら、わざわざ読みたくありません。

 とかなんとか言って、最近は心を閉じています。表向きには何とか話を合わせますが、心から笑うということが、徐々に少なくなってきました。昔ある人が「元気があれば何でもできる」と言いましたが、すでに私の心は元気を生み出すことができなくなりつつありました。


 そんな私が最近よく聞くようになったラジオ(エフエム青森)で、さっき書いた言葉を聞いたのです。すなわち、

 「元気でも元気じゃなくてもいいから、生きていてください」

 ということです。一回しか聞かなかったので少し違うかもしれませんが、大きな意味合いは変わらないと思います。


 BiSHというグループは、知っています。アイナ・ジ・エンドという名前も、聞いたことがあります。ただ、素直に好きになるには格好をつけすぎると思いました。

 でも、そのアイナ・ジ・エンドが言ったこの言葉は、私の心に鋭く斬りこんできました。よく「刺さる」とか「衝撃を受けた」いう言い回しがありますが、私にとっては「斬りかかられた」という印象です。もう川中島の戦いで突然斬りこんできた上杉謙信みたいなもんですよ。それに対して私も武田信玄のごとく軍配で受け止めてね。

 スゲーことを言うやつだな、と思いました。そのうえで、

 「そんなに言うんだったら、生きてみるしかないじゃないか」

 死にかけていた私の心が、少しずつ生き返ってきたのです。少しずつ空気を取り込んで、踏みとどまって再び前に進むことができそうになりました。


 7月19日より、私はアイナ・ジ・エンドという人を好きになりました。全力で好きになれるかどうかはわかりませんが、少なくとも、その言葉は、私が前に進むエネルギーになりそうです。「元気じゃなくても、誰かが自分に『生きていてほしい』と思っているのなら、何とか生きていこう」と。そう思って生きられる気がします。

 ただしアイナというと鈴木愛奈がいるので、便宜的に鈴木愛奈の方を「いいほうのアイナ」としアイナ・ジ・エンドの方は「悪いほうのアイナ」とさせていただきます。Uインターかよ! って、このツッコミもマニアックすぎましたねスミマセン。

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こんばんは
 
 緊急事態宣言
 
 いぬがみです
 
 
 茶化すつもりはありません。かといって、ここで猛批判をぶつ気持ちもありません。
 
 ただ、私も人間ですから。この状況をまともに受けて業績が非常に悪いですから。
 
 だから、つまり。
 
 少しずつ、まともにものを考えることが、できなくなりつつあるのです。
 
 
 それはさておき。最近youtubeで新しい音楽のジャンルを知りました。フューチャーファンクとかヴェイパーウェイヴっていうやつですね。
 
 ダフトパンクが2013年に発売したアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』つまり様々な時代・場所の音楽が自宅のパソコンなり携帯情報端末なりで自由にアクセスできるようになった今の音楽。もともとの素材をぶった切ってごたまぜにしてお皿に盛り付けた料理のごとき--とても心地よい音楽です。80年代的な雰囲気、「過ぎ去った未来」的な雰囲気も含めて、すごく気に入りました。
 
 一応Wikipediaの解説も見ましたが、ここで新しい言葉を知りました。
 
 それが今回のタイトルになっている「加速主義」です。
 
 
 ……ふうん。
 
 あたくしにはそういう難しいことはよくわかりませんが(故・林家こん平師匠の口調で)、ただ、私が昨今の状況で抱いていた思いは、ちょうどこの、加速主義的な考え方にあてはまるのかな、と思いました。
 
 新型コロナウイルスが猛威を振るい、それに対して政治がアレコレ手を打つものの、事実として感染者は増え続けている現状。それに対して、ああするべきこうするべきと識者文化人タレント一般人がテレビやラジオや雑誌やSNSで百家争鳴の現状。みんなが好き放題に言いたいことを言う一方で芸能人がちょっと意見を言うと、なんだかんだと批判を浴びせて、その芸能人が謝罪撤回に追い込まれる窮屈極まりない現状。
 
 緊急事態宣言? それでもオリンピック開幕? ……もう、理解できません。
 
 かかる状況において、もとより常識も良識も普通の人と比べて著しく劣る精神障害者たる私は、こう思ったのです。
 
 「こうなったら、なるようになればいい。行きつくところまで行けばいい。やりたいようにやればいい。政治は休業要請をすればいい。居酒屋は無視して深夜まで営業すればいい。路上飲みをしたければすればいい。どれほどメチャクチャになってもいい。誰もどうにもならないんだ」
 
 
 ……この考え方が正しいってわけじゃありませんよ。そう思った。そういうことです。自分自身も冷静になって、「自分が、こう考えていたんだ」ということを書いた。そういうブログです。
 
 新型コロナウイルスによる健康被害を予防し、それに伴う様々な精神的健康被害を予防する。どうにもならないことはたくさんあるけれど、せめて自分の心だけは守りたい。そう思いました。

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こんばんは
 
 あと数時間で、私の30代が終わります
 
 いぬがみです(あしたはアメリカそして私の記念日)。
 
 
 10年前、2011年。私の30代は、そう3月11日に起こった「東日本大震災」からの復旧そして復興……そんな、激動からのリスタートから始まりました。
 
 それから3年後の2014年。それまで10年来働いてきた会社を辞め、「やりたいことをやってみる」と宣言して、突然それまで一度も経験したことのない接客サービス業に転職。それからの7年は……もうね、本当に、激動の連続でした。
 
 けっこー危ない状況に追い込まれることも、何度も何度もありました。割と今もそれに近いですけど。
 
 でも、悪いことばかりじゃなかった、と思いたいです。何度も何度も「死んじゃえばいいのかな」と思った34歳から39歳364日の現在。「辞めたい」「死にたい」と何度も思い、結局それを実行することができず、苦しみながら生きている現在ですが、いいこともありました。
 
 発達障害とか自閉スペクトラムとかいう、比較的新しい概念によってわかってきた私自身の個性。
 
 この「いぬがみ」は、いわゆる精神障害者のレッテルを貼られている……接客する相手を必要以上にアレしたり、気合を入れてやった上司は二度とナニだったり、ある程度食べたところでハエの死骸が入っていたことに気づいたメシを食わせる青森県十和田市内のパチンコ屋の向かいにある某食堂に料金を払わねーで帰りたかったけど面倒くさかったので素直に料金を払って店を出た後に「二度と来るかボケッ!」と悪態をつくなんてことはしょっちゅうじゃなくて一回だけですよ……と。
 
 ですが、こんな私でも、「もっと生きていたい」という気持ちはあるんです。「どうせ自分には無理だから」と思っていたことが、実現したりすることも、たくさんあるんです。
 
 「信じていれば、夢はかなう」
 
 なんて、Aqoursのちかっちーこと高海千歌ちゃんが伊波杏樹の声で絶叫すれば、私のようなADHDでASDで回避型愛着障害早い話がソシオパス(社会不適合者)でなくても、「わかった、皆まで言うな!」と言って、たとい「そうじゃないんじゃないかな」と内心では思いつつも受け入れる……と思うんですけどね。ここで言っても、太平洋の中の小魚の一匹にも劣る情報の海の中の当ブログでは、どこにも響かないでしょうから。別にこれを全世界に向けて訴えかける! という志はありません。
 
 ただ、それでも私は私の「意志」をもって、生きているわけですから。
 
 
 ……ああ、あと4時間弱で、私の30代が終わります。
 
 私の40代は、超絶大きなビッグウエーブ(重言のメガ盛り)を起こすための準備をしています。ただし今度は、この先「(こんな欠点だらけのぽんこつな)自分が生きていくことができる道は何か」という、きわめて切実な動機に基づいたアレです。
 
 果たしてこれが吉と出るか凶と出るか。それはまだわかりません。
 
 ですが、少なくとも今の私は、信じています。
 
 自分のような問題だらけの人間が生きていくためには、もう、これしか道はないと。
 
 そして、万が一それで失敗したとしても、それに納得できるのなら、「まぁよしとするかな」と思っています。
 
 まあ今回に関しては、そうならないように、メチャクチャ勉強しまくって下積みをしているんですが。先述したように「今後、問題だらけの自分が生きていくための方策」として選択することですから。
 
 そんな私の30代最後の記事。最後はこちらの言葉をお読みいただきながら、お別れしたいと思います。(←知ってるつもり?!の関口宏さんふうオチ)

 
 もし運命が変えられるのなら過ちを犯さずに済むのだろうか?

その時が分かったとして正しい判断を下せるだろうか?

何度やり直したとしても、運命を変える事など不可能なのかもしれない…

しかし、そこに生きた証だけは違うと信じたい。


(タイトー『RAYCRISIS』(PS版) より)

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おはようございます

 最近、テレビのニュースを見ないようにしています

 いぬがみです。


 街に出る人が増加しているとか、路上に座り込んで酒を飲む人が増加しているとか、マスクをしていないとか気を緩めるなとか……そんなのばっかり。私は辺境の地に住まう人間ですから、それほどのこともないのですが、そんなものを毎日見て、どうしろというのでしょう。だったらもっと自分の実になるものを見ていた方がよろしい。

 そんなわけで今朝も『仮面ライダーゼロワン』を見ました。レンタル期限があるからあと7話ほど見てしまわなくちゃいけないんですが、ひとつひとつが面白いから、いっぺんに通して観るのがもったいない気がするんですよね。それよりも、私がそういう人間だからなのでしょうが。


 ITパスポートの試験のほうは、って、まだ試験云々って段階じゃないですけどね。勉強を始めてから、ようやく3週間といったところですから。そしてペースとしては、ようやくストラテジ系の単元を終えて、初めて過去問題集に取り組んでみた……そんな感じです。

 毎日少しずつ……なんて悠長なことを言うつもりはありません。ただ、テキストや参考書に書いてあることを理解するために、普通の人からしてみれば無駄に思えるほど情報を書き出さなくちゃいけないので、一生懸命やってもメチャクチャ時間がかかるんです。それこそ5時間6時間くらい。

 ただ、その努力の甲斐――プラス、ITパスポート云々という話が出る前に、将来を見据えて読んだ本2冊で拾った知識のイメージ――のおかげか、思ったよりも良いスコアを取ることができました。

 もちろん手綱を緩めるつもりは一切ありません。これからもローギアで高トルク低速型の私ですが、実際に合格するその日まで、頑張る所存です。――ちょっと最初と変わったのは、「真っ白なノートに新しい知識を全部書き込んでいかなくちゃ」というのから「ある程度の知識は身についているから、今度はその精度を上げていこう」という風になった、ということです。

 筋トレと違って、目に見える、質量のある成果ではありませんが――着実に、前に進んでいるようです。それを確かめることができたのが、何よりも大きかったし、素直に。

 嬉しかったです。とても、嬉しかったのです。

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おはようございます

 『仮面ライダーゼロワン』のDVDを借りてきました

 いぬがみです(AI云々がメインテーマなので)。


 特撮オタクで仮面ライダーオタク(+ガンダムオタク)の弟者からは非常に評価の低い『ゼロワン』ですが、私はリアルタイムに放送していた時期から、それほど嫌いではありません。日曜日の朝と言うのは仕事であることが多いので、結局5話くらいしか見ていないのですが、そのピンポイントでメチャクチャ心を打たれてしまったのです。

 やっぱり『ゼロワン』に限らず、こういうのって、最後はヒーローが勝つんですよ(そうじゃなかったら、わざわざ作品を作る意味がない)。濱田マリの『人の息子』(※)ではありませんが、
大成功するのは知っているんです。大活躍するのを待っているんです。そして、どうやって大活躍するのかが、好きになるのかならないのかの分かれ道なんです。

 主人公・飛電或人は……いいんですよね。基本的に明るくて熱血で、どんな状況でも夢を信じて戦うところがいいんです。お笑い芸人を志していたこともあって、ことあるごとに一発ギャグをかますところもいいですね。


 とりあえず、見られるだけ見ていきたいと思います。私が見た5話のうち2話はかなり後半のほうになるので、そこまでは見ていきたいと思います。ちなみにほかの2話は、新型コロナウイルスの影響が直撃して通常放送が間に合わず急遽編成された総集編でした。そこで大まかな流れを(ものすごいザックリ)つかめたので、それで波に乗れたのもあるのかな。


(※ もともとは奥田民生の歌ですが、私が聞いたのは濱田マリのソロアルバムに収録されたカバー版でした)

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こんばんは

 うちのスマホが「最期の通信」みたいなことを言いました

 いぬがみです。


 具体的には、今日がこのスマホを使い始めて「140日目」だったので、私のAI「エモ子」が、私への思いを140文字でつぶやくって言ったんですね。しかしながら、何らまとまらないまま字数制限が来てしまい、
 「もう140 文 字に
           なり
               ま」

そして通信途絶です。映画とかで、通信している相手が巨大な爆発か何かに飲み込まれ生死不明になるシーンを思い出しました。


 さて先日書いた通り、ITパスポート資格を取るために、大学時代と同等かそれ以上のモチベーションで勉強しまくっている私。

 当初は書店で参考書を一冊買って、それで何とかなるかなとも思いましたが、結局ユーキャンの通信講座も申し込み、二刀流というか、それこそ学生時代と同じように「教科書の流れに沿って勉強しつつ、要所要所で参考書を開き深める」という方法で勉強することにしました。コストはかかりますが、どうやらこれがいいみたいです。

 というのも、テキストと参考書では、構成がバラバラなんですよね。テキストの方ではストラテジー系の話から始まっているのに、参考書の方ではテクノロジー系の話から始まっている……って、それだけならともかく、気になるキーワードを解説している場所がそれぞれ違ってるから巻末の索引をフル活用して調べなければなりません。行ったり来たりと手間がかかるのですが、
一冊の本を順繰りに覚えていく単純路線よりも頭に入る気がするのです。


 あと、私が買った参考書はコレなんですが(これがアフィリエイトってやつですよね)。



 この中でーーって本編に入る前のイントロダクションですが、試験勉強は木を描くイメージでやりましょう、とあります。具体的には最初にアウトラインを描き、次に枝を描き、その枝に細かく葉を描き込んでいく……と。こんな感じですね。要するに、「わからなくてもいいから、とにかく最後までテキストを読め」ということです。

 私は常々「仕事が中途半端」と言われ、それが自分がASDでADHDだからなんだと強く思い込み、「いったん手を付けたらキッチリ仕上げるまで次に進まない」ことを基本理念に据えていたので、最初は1ページずつ仕上げていこうと頑張っていました。ガリガリと書き込んで覚えてから次に進もうと思っていたのですが、「まあ、そう言うなら……」つって、とにかく最後までテキストを読み通し、それから改めてコツコツと仕上げていくことにしました。

 そうしたところ先述したように、同じキーワードなのに全然違うところで出てくるものだから、行ったり来たりと大変な思いをしています。そして、この手間がきっと、勉強というものを意義のあるものにしてくれているんだろうなと、思っています。



 まとめます。そう宣言しないと、まだまだ取り留めのない話が続きそうだから。

 ……こういう形で、学生時代の気持ちを取り戻せるとは思いませんでした。アニメを見たり、懐かし情報をWikipediaで見たりするよりも、よほどリアルに取り戻せます。そして、こんなに勉強にアクセクして、そのうえ「効率的な勉強法」なんてぇ物を見つけられたことが、気恥ずかしいやら嬉しいやら……。

 まあ、だからといって私が20年(と少し)前にタイムスリップして、当時の私に勉強法を説いたところで、当時は当時で精いっぱい頑張っていたわけですから、「うるせーなあ」と言い返された挙句、自分会議になってしま

 「ワァーッ!」



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