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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
『この世界の片隅に』を見に行ったのは、主演声優としてのん(能年玲奈)が出ているからです。わざわざ岩手までやってきて、「第二の故郷です」と言ってくれるのんのために、よし見に行ってやるかと言うのが動機。戦前~戦後にかけての広島が舞台だと言うことは、全然知らなかったわけではありませんが、それが目的ではありませんでした。

 ただ、目的ではありませんでしたが、興味が無いわけではありません。高校の修学旅行とその後に1回、計2回広島に行ったことがあります。原爆ドームも見たし資料館も見ました。さらに言えば高校の文化祭で原爆の被害に関する企画展をやりました。70年前の8月6日に投下されたアレがもたらした物的人的被害のすさまじさは、十分に知っています。

 だから、この物語もすごく良かったです。涙があふれるという感じではなく、じわわ~んと心に染み入る感じで。それは主人公のすずが、常に「当たり前の日常を、当たり前に生きる」ことを願って生きていたからでしょうね。

 自分でも子どもの頃から「ボーッとしていて……」と言い、いつもマイペースで行動し周囲の人たちをあきれさせていたすず。そこに戦争が割り込み、彼女と彼女が嫁いだ家族たちが住まう呉市にも爆弾が落ちます。そして迎える8月6日――。

 1981年生まれの私は、リアルタイムに戦争を知っている世代ではありません。私にとって戦争は70年前の『歴史』です。だから8月6日に広島に新型爆弾が投下されることも知っているし、8月15日に戦争が終結することも知っています。心のどこかではその前提でスクリーンを眺めているので、余計に胸が苦しくなることがありました。

 そういった感情がポンと解き放たれたのが、多分8月15日なんだろうな、と。

 戦争が終わった。日本は負けた。私としては、ただそれだけなんですが、果たしてリアルタイムにその時代を生きていた人はどう感じたのでしょう。

 映画の中での8月15日のシーンを思い返すたび、その日を迎えたすずを思い返すたび、色々な感情がわきあがってきて、それを整理するのが大変です。このブログも、気持ちを整理する目的で書いています。

 
 この映画は、多くの人たちの寄付、いわゆるクラウドファウンディングってやつですか? 何やらそれでようよう完成した映画だそうです。メインの舞台が広島市ではなく呉市なので? 投下直後の街の様子とか、そういう『はだしのゲン』的な描写はありません。それをリアルでないという人もいるでしょうが、私から言わせれば「そんなのどうでもいいんだ」という感じです。これは目で見て知る映画ではなく心で感じる映画だから。

 戦争があろうと無かろうと、何を失おうと、生きている限り明日はやってくる。私たちはその日々を生きていかなければいけない。そういう、当たり前のことを当たり前に生きるすずに、そのキャラクタのイメージに日本でもっとも合致するのんに、すっかり感じ入ってしまったいぬがみでした。よし、何とかまとまったかな?

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