●アスク半ドンを取ったものの明確に「これをやらなくちゃ」というタスクがないので、とりあえず地下鉄の勾当台公園駅を起点として仙台市民図書館(メディアテーク)に行き、西公園をぼんやり歩きながら大手町のギャラリー『ターンアラウンド』で個展を見る……という、いつものコースを取ることにしました。
いま 何を見ていますか
いま 行きたい場所はどこですか
いま 何が欲しいですか
聞かれた質問に、わたしは何と返すのだろう
「それぞれ自分のやり方で何かを知ろうとする
知らないことがあればそれも私たちを似たものどうしにする。」
●モノローグ
誰かのところに行くことで、
私もあなたも知らないことを知ることができる?
絵を描くことで遠くにいけることがある
遠くのことが絵になることがある
絵は、とてもゆっくりで
絵は、とてもはやい。
「あなたたちに何を言おうとも、モノローグにしかならない」
(鉤括弧内=ヴィスワヴァ・シンボルスカ『瞬間』沼野充義訳より)
今タナランでやっているのは小山維子さんの展示。まったく予備知識もなく……ああ、事前にフライヤーをもらって、いま引用した言葉くらいは知識として入れておきましたが、具体的にどのような作品を描いている方かというのはほとんど知らないままギャラリーに飛び込みました。
私は美術に関しては全くの素人です。観覧者としても技術的なこととか歴史的なこととか、いわゆる評論めいたことや解説めいたことを語ることはできません。ただ、最近は私がそうまでして評論家気取りの素人を目指す必要も無いだろうと思ったのです。『門外漢の気安さ』(by河合隼雄先生)で自分の主観を大切にして、まずは感じたことを率直にまとめる。それが私の役目であると思っているので、以下、自分の感想をまとめたいと思います。
抽象画というのはなかなか難しいものがあります。ともすれば、「何がいいのかわからない」ということになってしまいます。多くの方はここで脱落……賞味期限切れ……ゲームオーバー……ということになるでしょう。ただ私は感情家ですし、事前に読んだ小山維子さんの言葉には心打たれたし、せっかく会場まで来たのだから、
「何かを感じ取りたい」
そう思って一通り絵を眺めた後、もう一度最初から眺めてみたのです。フライヤーに書かれた言葉を何度も読み返しながら。
そうすると、「何かを感じ取る」ことができたんです。
多分これは私の特殊な気質によるものだと思います。相手の気持ちを感じとる……ありていな言い方でいえば「空気を読む」ことが苦手で、いつも自分のなかでかってに想像を膨らませてしまう内向的感情型の私だから、きっと小山維子さんの意図したものとは違った感じ方をしているのだと思います。何だったら、「抽象画って何が何なのか極端にあいまいなんだから、どんな風にも解釈されても仕方がないでしょ」と言い返してしまうかもしれません。言い返しませんが。それは暴論極論の類であり、そんな風に思うことはあるにせよ、それを誰かに伝えることはするべきではありませんが。
ただ、とにかく私は何かを感じたのです。
キャンバスに引かれた横一線の筋とか、重ね塗りされた色のグラデーションとかに、言いようのない感情を動かすものを受け止めたのです。そのわずかな心の動きをつかんで、更に想像を膨らませる。それはちょっとした努力と経験が必要なことですが、私はアートをたくさん見て、「こういうのが楽しいんだろうな」と思うところまでたどり着きました。
そういうわけで、素敵な個展でした。何がどう良かったかって、それは上手に言えませんが。作品が抽象画なので私の感情感想も抽象的にならざるを得ません。
ただよ、ただだ!(真壁刀義さんふうに)
私はアートを見るのが大好きです。1度でわからなければ2度も3度も繰り返し観ます。何かを感じ取り持ち帰れりたいので何度も何度も観ます。それでも何も感じられなければ、それはそれで仕方がありません。「私にはちょっとわからない」それも一つの感情感想であり、お持ち帰りできるものです。
わからないなら、わからないという感情をも大切にする。そういうのが、私自身の感情をはぐくむために必要なことなんじゃないかな。そう思いました。
良い個展でした。
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