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こんばんは。

 7年

 いぬがみです。


 あれから7年が経ち、少しずつですが確実に復興の道のりを歩む岩手県の沿岸にある街たち。私も毎年この時期には、普段なかなか行けない沿岸南部の街を訪れ、復興支援とか何とか言って好きなものを食べほしいものを買うのですね。

 今日は花巻から直接陸前高田市へ。そのあと釜石に行き、さらに大槌町へ。

 大槌町は津波によって壊滅し廃墟と化した「旧・大槌町役場」があります。当時の町長さんも津波の犠牲となり、私もあれ以降何度か現場に足を運び、祈りをささげてきました。

 最近、その建物を解体するか遺構として残すかの投票が行われました。結果は僅差で「解体」が決定したわけですが、本当にギリギリの差だったのでね。要するに壊そうとする人も遺そうとする人も正しいんだと思います。

 私自身はどちらかというと「遺した方がいいんじゃないのかな」というスタンスだったのですが、今日行ってみて、少し考え方が変わりました。

 「記録として残し、伝えていく必要はあるけれど、建物それ自体は解体してもいいんじゃないか」


 どうしてそう思ったのかというと、やはり大槌町の現実的な復興度合いがね。私の想像、すなわち1年前に見た時と比べて、ずっとずっと進んでいたから。

 正直に言うと、私の記憶の中にある大槌町は、

 「とにかくフラットな土地になってしまったなあ」

 という印象。どこに行くにしても手掛かりがなく、googleマップで検索して行ってみると、いきなり目的地がポンと取り残されていると。

 この旧・大槌町役場にしても、そうでした。周りは更地。仮設コンビニエンスストアと仮設ガソリンスタンド。それだけ。


 でも、今は道路もきちんと整備され(県道280号)、かさ上げ工事もバッチリ、当時仮設コンビニだったヤマザキYショップは別な場所にピカピカの建物を建てて好評営業中(その代りセブンイレブンができていた)。さらに交流施設やら図書館やら郵便局やらが周りに全力建設中とあって、この旧・大槌町役場だけがポツンと取り残されたような、浮いた印象だったのです。

 「これであれば、建物を完全に取り壊して、新しい大槌町を作り上げた方がいい」

 もちろん私は大槌町の人ではありませんが、それが復興、未来へのステップになるんじゃないかなと思ったのです。

 といって、目に見える建物がなくなったとしても、記憶を風化させることはいけません。私も感じたことを感じたままに写真を撮り、記憶を強化するようにします。

 1000年に一度の大災害を、1000年後の未来に伝えるために。
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おはようございます。

 花巻より祈りを込めて
 
 いぬがみです。


 本来であれば今日は休日ですので、ここ花巻市から東に向かった先にある釜石市に行き、その日のその時間に祈りを捧げたかったのですが、あいにくと明日明後日ふたたび青森県十和田市に行かなければならなくなったので、今日は移動の準備日として用事を足さなくてはいけません。

 そのため今日は、このホームから祈りをささげることにします。

 2011.3.11

 あれから7年。

 
 去年釜石市に行った時は、まるっきり新しい街になっていました。イオンを中心に大小さまざまなオフィスビル・商業施設などが立ち並び昼も夜も活況をしめす一方、ちょっと入ったところにはいまだ仮設商店街がある現状。

 実際にここに住み日々を過ごす人々にとっては、たぶん復興の歩みは…。どうなんだろう。

 同じように壊滅的な被害を受けた1995年の阪神大震災の時は、やはり大都市だけあって復興のスピードも速かったような気がします。

 7年も経ったのに、まだこんなものなの? そう言えるかもしれません。

 まあ私にできることと言えば、地元の募金箱にわずかばかりの金銭を投じること、そして年に数回くらい沿岸の街に行き、復興支援の名目で暴飲暴食およびモエモエした何物かを買い入れるくらいでありますが。

 でも、何度も書いていますが、私は海と海のそばの街が大好きなのでね。

 宮古、釜石、陸前高田。それから。……

 
 そう、復興支援の名目を掲げているものの、本当は私自身が元気になれるから行くんです。

 一日たりとも忘れたことはありません。

 まだまだ行きますよ。

 誰に言われなくても、当たり前のように心にある。

 そんな感じ。

 それが私の「復興ハート」。テレビ岩手。


 

こんにちは。

 23年

 いぬがみです。


 朝、めざましテレビを見ていましたが、特に震災関係のニュースはありませんでした。7時台から見たからかな。

 今日で23年。

 おそらく傷跡はもう、目に見えるものは何もないでしょう。

 記憶から消えることはないでしょうが。

 いまだに復興の道半ばである東北に住む私からすれば……。


 まあ、でも「これでいい」ってことはないでしょうね。

 すべての、半ばでこの世を去った人たちに鎮魂の思いを込めて。
おはようございます。

 マヂカルラブリーは結構好きなんですけどね

 いぬがみです(いや本当に)。


 昨日は「電車でOK, let's go(よしいくぞ)」という企画のもと、花巻から釜石→そして釜石から盛(大船渡市)まで行きました。

 目的は「駅メモ!」の新駅チェックインと、あこがれの「電車酒」を楽しむため。朝だろうが昼だろうが夕方だろうが関係ありません。とにかく飲みまくりです。…というほどではないんですけどね。1回につきビール2本(350ml)とか、コップ酒1本とか、そのくらいですから。インターバルも十分に置いてるし(電車が来るのが1時間ないし2時間に1本というペースなので)。


 逆にいうとそれ以外の目的というのが特に見当たらず、仕方がないので街をふらつく私。やはり気になるのは震災の影響です。

 もとよりそれほど被害がなかった(と思われる)ところもあるし、被害を受けた後に新しく復興したところもあるし。釜石市役所の近くを歩くと、立派な公営住宅が建っていましたが、その陰にはまだ仮設商店街があったりするし。震災から6年以上が経過し、もちろん時間ともに復興は進んでいますが、いまだ道半ばなのだなということを痛感しました。

 そんな中、これは大船渡市ですが、「東海新報」という新聞を買いました。いわゆる地方紙です。

 結構、こういう地方紙が好きなんですよね。「函館新聞」とか。

 正直なところ全国紙とかは、あんまり興味がありません。それはインターネットで同じ記事が配信されるから、それを読めばいい話だし。

 でも、こういう地方紙っていうのは、やはり地元の超・ローカル的なニュースが載るから面白いんです。その土地の雰囲気を、味わうことができるから。

 『あまちゃん』を見てから、そういう地方意識というか土着精神というか…そういう志向が一層強くなってきた私。そのうち、地方紙コレクターになるかもしれません。「この地方紙で連載されている小説が面白いですよ」とかって記事を書き始めたり、そのくせ1か月もしないうちに「小説が面白くなくなりました」って書いたり(松本清張的オチ)。
おはようございます。



岩手生まれの岩手育ち、いぬがみです。


今日は函館の立待岬に来ています。

天気は快晴。風も穏やかで、波が静かにささやいています。

……

私は、海が好きです。

6年前の今日のことを、思っても。

だって、海は海ですから。

立ち並ぶ仮設住宅。思うように進まない復興。いわれなき差別や迫害。

被災地のこと、そこで生活する人々のこと。一日たりとも、思わなかったことはありません。

再建のペース、復興のスピード。個人差があるでしょう。報道された情報くらいですが、そういうのもわかります。


それはそれとして、改めて私は自分の気持ちを言います。

私は、海が好きです。

そして、海のそばにあって海と共に生きる街が大好きです。

私は私で職場があるし、家庭も内陸の街に持っちゃったから、沿岸の街の住人にはなれません。

だからこそ、私はそこに住み生活している人たちの力になりたいと思うのです。微力ですが。

夢を託すというか。

私ができないことをやっている人たちに、私の気持ちを乗せたい。その人たちが生活することで、私の気持ちを満たしたい。そういうことです。


あまり大きなことはできません。

ただ、時々その街に行き、町の様子を見る。ジュースを飲んだり昼ご飯を食べたりする。せいぜいその程度です。

それが私の、大好きな沿岸の街に対して、できることなのかな。

そう思いました。


頑張ってますよ、岩手。福島も、宮城も。 

これまでも、これからも。

心はいつも、海の見える街と、そこに生きる人々と共に。
こんばんは。

今日は阪神大震災から22年目

『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


 私は岩手の人間ですので、真っ先に頭に浮かぶのは2011年3月11日の「東日本大震災」。もちろんこれは一日たりとも忘れたことはありません。風化が進むという報道が流れるたび、「どうして、いまだにこんなに苦労している人がいるのに、みんな忘れてしまうんだ」と思うことがありましたが、そんな私も阪神大震災のことを忘れていました。今日の夕方、ご飯を食べに食堂に行って、そこで新聞を読むまで。今テレビで「報道STATION」を見るまで。

 あの時、私は中学1年生でした。甚大な被害を受けた関西地方から遠く遠く離れた岩手県の私にとってあの日は、半ば非現実的な世界の出来事でした。私の現実は、いつもと変わらずに朝起きて、テレビをつけただけだったから。そのテレビの中で、崩れ落ち、燃え上がる神戸の街並みが映し出されているだけだったから(これはのちのアメリカ同時多発テロの時もそうでした)。

 実際に家族や愛する人を亡くした人は、それこそ一生涯、絶対に忘れることはないでしょう。それは私もそうです。誰も喪うことなく、何も壊れることがなかった私ではありますが、私が生まれ育った岩手県と宮城県、そして福島県の人たちと街に対する思いは、これからもずっとずっと変わりありません。

 でも。ね。

 ……あの時のことを今の今まで忘れていた自分のことを思うと、なんというか、その……

 東日本大震災のことを忘れないで、という気持ちに変わりはありません。でも、阪神大震災のことも忘れてはいけない。そのことを、改めて心に誓いました。


 *


 ただ、阪神大震災と東日本大震災で、ちょっと違うところはあると思うんですよね。今の神戸はかつて震災で壊滅したことを忘れてしまうくらい繁栄しているものの、東日本大震災で被災した岩手県の沿岸の街は、いまだに多くの人が仮設住宅に入り、復興途上なんです。私も実際に被災地に足を運んだので言いますが、もう5年以上も経つのに、こんな感じなんです。事実として、私の脳裏にはこの曲が流れました。



 これは物語のとある展開により崩壊した街を歩くときに流れるBGMなのですが、本当そんな感じです。

 身内や愛する人を喪った悲しみを、第三者が忘れさせることは絶対に無理でしょう。でも……。


 すべての、震災の犠牲になった人たちに冥福を。そして、今も震災で苦しんでいる人たちに寄り添う気持ちを。いぬがみは、これからもずっと、そういう気持ちで生き続けます。そして、少しでも力になれるよう、努力していきます。

 がんばれ、がんばれ、がんばれ、みんな(さまださし『関白失脚』的オチ)。
こんにちは

前回は随分と酔っ払っていたのかな

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(書いた時の記憶があまりない)。


どうしていきなり今日「3.11」のカテゴリの記事を書こうと思ったのかというと、今「ヒルナンデス」を見ているとき、うすみさこと臼澤みさきちゃんの出演するCMが流れたから。内容としては今度の参議院選挙、投票年齢が引き下げられて18歳以上ということになったので、投票を促すものでした。ちょうど、うすみさが18歳だから、同年代の人たちに向けたメッセージなんでしょうね。

そうか、もう5年も経ったのか。そんな感じがします。

実は今年の4月、八戸からず~っと国道45号線を南下して陸前高田市に行ってきました。北三陸の方は何度か行ったものの、南三陸の方は全然行っていなかったからです(私の実家があるのが県北の方にあるので、日帰りとかだと結構厳しい)。

午前11時くらいに青森県十和田市を出発して、流れ流れて陸前高田。着いた時にはもう夜でした。

そこでふと思い車中泊。翌朝、あいにくの天気ではあるものの、徐々に明るくなっていく空と「奇跡の一本松」そして震災遺構となった旧陸前高田道の駅を眺め、かえってきました。

いずれこのことはまとめてホームページで書き出しますが、5年経っても復興は道半ばなのだなということ。でも、確実に流れはあるということ。


今まで被災地のことは、一日たりとも忘れたことがありません。そしてこれからも、私はずっと被災地のことを想い続け、力になりたいと思っています。

ただし、今回のツアーの主目的である「うすみさの新CDを沿岸の街で買う」というのは、果たせませんでした。そもそもCDショップが見つけられなくて・・・土地勘がなくて、見つけられなかったのでしょうが。
こんにちは。

5年間、一日も忘れたことはありません。

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


復興が何も進んでいない。そう言う被災者の人がいる現実。

地権者とのやり取り、かさ上げに必要な土砂や資材が足りない。そう言う行政がある現実。

でも、

みんな気持ちは一緒だと思います。


私にはこの状況をいっぺんに解決することはできません。

大したこと、できません。

でも、

微力ながら、できることはあります。


岩手、宮城、福島。

復興とその先の未来に向かって。

私はこれからも、生きていきます。

祈りを込めて。
詳しい経緯はまた改めて書きますが、今日は久慈市から大槌町まで、沿岸の道路をず〜っと南下したあと宮古まで戻り、それから盛岡へ帰る……という超ロングディスタンスな移動をしてきました。

どうして大槌町まで行こうかと思ったのか? といえば、うすみさこと臼澤みさきちゃんの3rdアルバムの購入特典があるのが大槌町のショップだったから。って、べつに大槌町に限ったことではないんですが、「どうせならうすみさの出身地で買おう」と思い車を走らせた次第です。

当初は海を眺めながら延々と走ろうと思っていたのですが、ところどころ自動車専用道路ができていたのでそれを最大限に活用。風景はあまり楽しめませんでしたが、所要時間は大幅に短縮させることができました。


震災後初めて訪れた大槌町は……色々と変わっていました。

とりあえず「もみ子ナビ」(MAPLUS3ポータブルのARIAきせかえパック仕様)で大槌町の代表地点に向かったところ、そこにあったのは津波の被害を受けて壊滅した旧大槌町役場でした。もちろん、映像では何度も見ていましたが……実際にこうして現場に立ってみると茫然自失。その場にしばし、立ちすくんでしまいました。

こみ上げる思いを、建物の前に設置された慰霊碑の前に手を合わせることで何とか静め、目的のCDを手に入れた私。そのあとは「お前ガソリン、おれカレー」とクロマニヨンズの歌のようにそれぞれのエネルギーを補給。平均時速80キロで帰ってきたわけですが、ようやく大槌町の人たちに直接的な支援をすることができたのかな、と思いました。

いや、別にこれが支援じゃないというのならそれでいいです。ただ大槌の人間じゃない私が大槌のコンビニでコーヒーを買ったり大槌の書店でCDを買ったり大槌のガソリンスタンドを利用したりすることは、外貨獲得という意味では絶対にプラスになったと思うのです。


私は大きな金額を義援金として手渡したり、ボランティアとして何かしらの作業をすることはできません。ただ観光に来て、コンビニやスーパーを利用して、帰るだけです。そして、せいぜいこうして被災地のことをブログで書くぐらいしかできません。

それでも、また行きたいと思います。今度はもっと早い時間に、商店街とかも色々と眺めてみたりして。さらにいえば大槌町だけじゃなく、隣の山田町や田老町の方も。

だって私は岩手県民だから。そして内陸の人間だから。――特別な時間を過ごした思い出が山のようにある沿岸の街が大好きだから。
復興が進まなくても、心の整理がつかなくても、時間は経つのだ。それが今日思ったことです。

4年前の3月11日のことは今でも覚えています。

震災のこと、被災地のこと。そのことを一日も忘れたことはありません。

それだけに、色々と思うことがあります。そして、どんなに思ってみても、今すぐすべての被災した人たちをハッピーにすることはできないし、どうすればいいかも思いつきません。

あきらめてしまいそうになります。


正しくなくてもいいです。私はやれることをやります。

これまでも、これからも。
かつて、とある戦場カメラマンは「こんなのニュースになりっこない」と思いながら、ありふれた日常風景をフィルムに収めていたと言います。それは非日常的な世界を追いすぎるあまり糸の切れた凧のようになりかねない自分をつなぎとめ、取り戻す作業であったと言います。
           
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プロフィール
HN:
いぬがみ
年齢:
36
HP:
性別:
男性
誕生日:
1981/07/04
職業:
一応、給与取得者
趣味:
ドライブ・アニメ・ゲーム
自己紹介:
 岩手県に生まれ、岩手県に育ち、岩手県に住む、純粋いわてっ子です。これからも岩手に生き、岩手の人たちのために頑張っていきたいと思います。
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