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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは。

久しぶりに小説を一冊、通して読みました

「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


今回は浅田次郎さんの自伝的小説「霞町物語」を読みました。

今から3年以上前にラジオ番組の朗読でちょっと聞いて、それから随分と時間が流れてしまいましたが、ようやっと原作を読み終えることができました(当時の記事はこちら)。

とりあえず感想を申し上げると、これは夢枕獏さんの小説を読んだ時と同じような心地よさがありますね。よそから来てうまく流行に溶け込んでいるのではなく、ナチュラルに故郷として「東京」という街の文化を身に着けている人じゃないと見えてこない景色や感覚が、肩の凝らない江戸言葉でずらずらと並べられているので、いわゆる爽快とか痛快とか、そういう読後感があるのです。

プラスして、「こち亀」よりも少しばかり古い東京の景色が感じられるのがいいですね。時代の移り変わりとともに失われる世界。そんな時期に多感な青春時代を送ったことが、ちょっとだけうらやましく感じられます。まあ、それは小説を読むことで仮想体験できるので、いいんですが。

主人公である「僕」が戦前から続く由緒ある写真館の息子ということで、やっぱりライカだペンタックスだという言葉がポンポン出るたびに心ときめくのですが、基本はやはり青春小説。仲間たちとの交流、それに女の子とのおつきあい。さらにちょっぴり切ないファンタジー? 的な要素もあります。上品ではないけれど下衆では無い「江戸っ子」のクールな流儀は私にはとてもまねできません。そういうのは仕方がないでしょうけどね。

浅田次郎さんの作品は「壬生義士伝」に続き2作目です。史実というか、事実を意地悪に突き詰めていくと「いやいや、それは違うだろう」という場所もないことはないのですが、「そんなもん、どうだっていいじゃねえか」と感情的に押し流してしまうような痛快な言い回しと物語の流れ。そういうところが好きですね。だから霞町物語、私は大好きです。


 *


なおカメラに関する痛烈な批判はすでにほかの方がされているので(参照)、私はそういったことについてクドクドと申し立てることはしませんが、少しだけ。

この作品で「僕」の祖父はライカを、父はペンタックスを使っている、とたびたび出てきます。ライカの方はどうやらバルナックライカのIII型らしいのですが(最後の作品「卒業写真」でそういう記載が出てくる)ペンタックスはペンタックスとしか出てきません。

…一応、私も調べてみたのですが、この時代にペンタックスと言えば…こないだ私が書いた通り普及機タイプしか出てきません。むろん素晴らしいカメラであることは言うまでもありませんが、ただ、いわゆるプロ的な人が使うカメラかというと「?」という気がするのですね。要するに「どこの家にもカメラがあるから、うちのような古臭い写真館はもう時代遅れなんだ」と主人公が嘆く、原因となったカメラ。大・ベストセラー機として売れまくったカメラ。

といって、「そんなのどうだっていいんだよバカ野郎」と浅田次郎さんが江戸弁でまくしたてるのなら、私はハイそうですかと引き下がる用意があります。実際、私自身、親子三代の人情物語にすっかり感動してしまったので、そういったカメラや写真に関する間違った記述が瑕疵になるとは言いませんが…一方でこういったカメラに関する描写が気に入ってこの物語を手に取り、なおかつ本当にペンタックスを所有するカメラ好きになってしまったことを踏まえると、違和感を感じるんですよね。

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