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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 『帝都大戦』は完璧盤をLDで持っているのですが、以前に見ようとした時は序盤の15分ほどで止めてしまいました。前作『帝都物語』のように混沌としたオカルトな雰囲気を求めていたのに、どうもそういった雰囲気が薄く、「なんか違うなあ」と思ったからです。

 そんな私も原作をすべて読み終えました。なので、今なら昔とは違った見方ができるのではないか。そう思って再挑戦したしだいです。


 冊子に書かれていた「原作を大胆にアレンジ」という文言は、本編をすべて見終わった後に読みました。確かに序盤は原作どおり、大出力の電波搭と霊能力によってルーズヴェルト大統領を殺害せんと丹波哲郎が祈祷をささげるシーンがありますが、その後の展開はどうも映画版オリジナルのような気がします。

 この映画での加藤保憲は原作のような深い怨念を背負って生きているわけではなく、東京にはびこる怨霊たちの化身として登場します。何せ序盤で加藤は首なし死体として登場します。その後、連日の空爆によって瀕死の状態に追い込まれた帝都でうごめく怨霊たちに取り付かれ、復活するのです。

 で、それを倒すべく丹波哲郎の側近として戦う若者と、平将門公の末裔である辰宮雪子が立ち向かう・・・というものです。まあ雪子は看護婦なので日々運び込まれる負傷者の手当てに忙しく、実際に前線に立つのは主に若者(幼少のころ念力の才能があることを丹波哲郎に見出され、謎の組織でその力を強化させられた超能力者)の方が多いですが。


 今回は最後まで見ましたが、それは「私が持っている原作のイメージと、どう違うのか」という気持ちが半分くらいあったからのような気がします。原作を読まずに純粋に邦画の一作品として見ればちょっとキツいのかもしれませんが、パラレルワールドというか、『キング・オブ・ファイターズ』のような世界として見ると、これはとても楽しかったです。

 何せこの映画の加藤は『人間離れした』というよりも『人間ではない』存在ですからね。自由に空を飛び、念力で自動車なども軽々と持ち上げ、手向かうものたちは次々と惨殺していきます。式神とかはぜんぜん使いません。「ちょっとやりすぎなんじゃないのか」とも思いましたが、旧軍の軍服を着て外套をはためかせながら飛び回る姿はなかなか格好よいのです。


 どちらかというと(私が実相寺監督好きということを差し引いても)原作に忠実でドロドロした前作のほうが好きではありますが、これもまた、『見てよかったなあ』と感じた作品であります。


 なお、おまけディスクには当時の予告編とメイキング映像がありました。今なら全部CGで作るところを、丁寧に模型を作り、これを俳優さんと組み合わせて映像化するということ。そういう時代だったのだなと思いました。

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