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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます。

 過去現在未来

 いぬがみです。


 今年一発目の更新というわけですが、それとはあんまり関係なく、本棚の整理をしました。ブックオフではなく変な中古雑貨店に本を持ち込んでしまったせいか、100冊で70円という金額を付けられ、かといって持ち帰るのもおっくうなので、結局、私の20年の歴史は70円でゴミになってしまいました。

 そしてゴミとして処分され、私は過去を捨てた男……断捨離という言葉は嫌いですが、私もまた、そうやって過去を切り捨て物質を消費して老いさらばえて朽ち果てるのでしょう……と悲観するつもりはまったくありません。

 100冊処分しても、まだまだ本はたくさんあるからです。しかも逆に、もはや自分の手の届かないどこかに行ってしまったと思っていた本がザクザクと出てきたからです。

 河合隼雄先生とユング関連の本。村山早紀先生の「ルリユール」。「ウルトラセブンX」のノベライズ版。中島らもさんの「固いおとうふ」。そして、もう一度買いなおす覚悟で日ごと古本屋に行くたび探していた澁澤龍彦氏の「三島由紀夫おぼえがき」をはじめとする著書の数々……。

 この流れは社会人時代→大学時代→高校時代という逆スライド時系列に基づいています。そうです、私は十七歳で村山早紀と澁澤龍彦をチャンポンにして読み漁り、その勢いでサドの『悪徳の栄え』『新ジュスティーヌ』の悪魔的饗宴に耽溺しつつルイス・キャロルのノンセンス的な空想的世界を泳いでいたのです。

 その後、司馬遼太郎・山岡荘八といった大御所作家の大型時代小説をがっつり平らげ、吉村昭・坂井三郎らノンフィクション的なものもかじり……と、まあ私の読書遍歴をつらつらと並べても仕方ないのでこの辺にしておきますが、要するに、まだまだ私の場合、本を読む意欲は衰えていないなというのを感じました。

 高校時代、大学時代につちかった読書のスキル。……いや、まあ本を読むことは別にスキルでもステータスでもないと思うんですけどね。ただ、やっぱり本を読むってある程度能動的な要素がありますからね。スマホで動画を見るように、何も考えないでボーっとしていても流れてくるものじゃないですから。あえてこういう言い方をしました。すみません話を戻します。

 それが社会人になって「忙しい」とか「現実を生きなくちゃ」とかいって本から遠ざかっていましたが、毎日起きると同時につけていたパソコンが故障した2013年、120冊くらい本を読んで、「ああ、やっぱり本って面白いな」と再確認。

 その後、転職して空き時間がメチャクチャになって、休憩時間は主に寝て過ごすようになって、またしばらく本から遠ざかっていたのですが……最近はADHD/ASD関連の本だったりバイク関連の本だったり、ジャンルはメチャクチャですが、とにかく漫画ではない本を読んでいます。そして今回、私の中では最重要書籍の一つと言っていい「三島由紀夫おぼえがき」が出てきたことで、いよいよ、ずっと目に見えるところにありながら手に取らなかった「太陽と鉄」が生きてきます。


 精神障害とコンサータによって毎日過剰にエキサイティングな状態が続いている今日この頃。タバコでそれを抑えていたのですが、最近はそれも控えるようになりました。そうすると、もはやじっとしていられないくらいの興奮感が全身を駆け巡るので、またまた体を鍛えてみようかと思うのです。

 いわゆる筋トレっていうと、なんかちょっとスポーティな感じがするんですよね。あるいは松本人志さんの「マツザップ」みたいな、「あの~マツザップというのは、気が狂うまでやるという」というような。

 それに対して私は、文武両道を体現した三島氏を目標として体づくりをやっていこうかと思います。厳しく研ぎ澄まされた日本刀のごとき鋼鉄の肉体と、それに包まれた精神。それは今、極端に緊張した精神をどう制御し、どう生きていけばいいのか苦しんでいる私のひとつの理想形と言ってもいいでしょう。

 筋肉だけではなく、精神だけでもなく。暴れたがる精神を鍛え上げた肉体が包み込み、血液が沸騰するようにたぎる肉体を精神が抑える。そのバランス領域を高め続けることで、おそらく私の理想とする境地が見えてくるのでしょう。その境地にたどり着いた時、私がどうするのかはわかりませんが。

 自分が境地にたどり着いたことを峻烈極まる行動でアピールして果てるのか。あるいは、いつまでも境地がどこなのか見つけられないまま還暦を目前に静脈瘤破裂かなんかで死んでしまうのか。はたまた何事もなく、ついでに医療技術の進歩によって長寿高齢化が進み、2061年くらいまで生きてハレー彗星を見上げ、「なあんだ、たいしたことなかったな……」と晩年の澁澤龍彦氏の物まねでうそぶいているのか。

 
 どうも、お酒を飲んでいるわけでもないのに、朝から随分と長い文章を書いてしまいました。

 昨今SNSという言葉が一般的に広がり、それに対して自閉スペクトラム症の私は若干の抵抗感を覚えています。言葉に対してというか、SNSそのものに対して。別にそうまでして誰かとつながりを求めたいとは思わないのです。

 そうなると、このブログもSNSというやつなのか? じゃあ自分はどうしてブログをやっているのだ? と自問自答。それにこたえられないのであれば、このまま2019年はブログ更新をせずに生きていこう……と思っていたのですが、要するに備忘録ですね。あとで自分が振り返った時に、すぐに思い出せるように。

 だから、この記事を読んで誰かが共感できるかと言えば、たぶん誰も共感できないでしょう。それで結構です。

 でも、もしも誰かが何らかのきっかけでこの記事を読み、何かを感じることがあるかもしれませんからね。オープンしなければ誰も絶対に見ることはないでしょうけど、オープンにしていれば、その可能性はゼロではありませんから。

 そして私も、それを意識して書き続けることで、よりいっそう精神を磨くことができるでしょう。ちなみに私の好きな日本刀は関孫六です。それはもちろん、あの人(※)が持っていたからです。




 ※ 「帝都物語」の主人公? である加藤保憲が持っていた刀です。映画やアニメになった時代ではなく、物語の後半、昭和編ですけどね。そしてその刀を元々持っていたのは平岡公威氏です。

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