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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます。

 ラブライブサンシャインの映画を見てきました

 いぬがみです(昨日、レイトショーで)。


 ほとんどまともにテレビシリーズを見ず、予備知識もさほど持たず、ただただ津島善子という体で行ってみました。

 色々と感動しました。

 詳細なことは省きますが、ひとつ再確認したことがありました。それは私自身がAqoursとは別に気づき、大事にしてきたことなんですが。

 要するに、

 「たとい物理的な要因で離れていても、心はずっとつながっている」

 ということです。


 この三連休、初日こそバイクで往復100キロの小旅行をしたりとアクティブな感じでありましたが、昨日と今日は主に部屋の片づけをしていました。何せ次々と本を買い込むので、さすがにある程度整理しないとパンクしてしまうのです部屋がね。

 それと同時に「あ~昔読んだあの本どこ行ったっけかなあ?」という思いに駆られることが時々あったので、いったん整理してやろうと思い、相当な時間と手間をかけてひっくり返しました。

 そして200冊以上の古本を処分し、まあそれでも十分ではないのですが、とりあえず読みたい本や忘れていた本がごっそり見つかったので十分な成果があったのかなと判断。

 「よっしゃ、今日はこのぐらいにしといたるわ」

 と池乃めだか師匠の物まねでひとりごち、現在は若干とっ散らかったままの部屋を片付ける最終段階に入ろうかというところです。その途中で思ったことを書き留めておこうと思い、この記事を書いています。


 懐かしい本と一緒に、懐かしい「写真」が出てきました。あと、スクデット。要するにトロフィーですね。それの楯バージョン。


 ひとつは、もともと額縁に入れてしまっていたのですが、四つ切に引き伸ばした写真。そこに写っているのは、まつ毛の手入れをしている女子高生を真横から写したもの。タイトルは確か「真剣な女」だったかな。20年前、部室の整理をしている時に見つけ、処分される前にパネルから引きはがして回収したものです。

 この被写体の女性は私の一年先輩でした。その学年の部員は女子が二人いて、もうひとりの方は明朗快活、部活に関する運営もテキパキ/サバサバとこなす人でした。一方でこの先輩はどちらかというと口数は控えめで、話すよりも考えることが好きな雰囲気の人でした。

 そして、その先輩のことが、私は好きでした。いっしょに話をするのが楽しくて、その先輩がCoccoが好きだというとすぐにCDをレンタルしてきて、カセットテープにダビングして(時代ですね~)、通学途中の自転車でしょっちゅう聞いていました。

 ところが、やはり同学年の女子の友達が欲しかったのか。その先輩は3年生の夏休み明けには辞めてしまいました。運動部ならそれもいいんでしょうが、私たち文化部は秋の文化祭が最後の晴れ舞台ですからね。それまで一緒にやりたかったのですが、まあ……今更どうこう言っても仕方がないことです。

時々過去に戻って歴史を修正したいと思うこともありますが、これに関しては、戻ったところで手の出しようがない気がしますし。今はただ小林秀雄先生にならい、あれこれと余計な思いを抱くことなく、ただその事実だけを懐かしむことにしましょう。


 そしてもうひとつは、私が1997年の夏、宮古市は浄土ヶ浜において撮影した幼い兄妹の写真。タイトルはそのまま「兄妹」ですが、これ、なんと文化部の甲子園こと全国高等学校総合文化祭岩手県大会写真部門……ハァハァ……において、優秀賞をいただいたんです。もうね、全校クラスで表彰されるレベルですよ。そして極度の恥ずかしがりや(今でいう自閉スペクトラム症)だった私は登壇をボイコット。同じ部に所属していて、一ランク上の「最優秀賞」を受けた女の子に替え玉をさせるという蛮行を実施してしまいました。

 これに関しては歴史改変したい気持ちが今でも起こります。しかしながら、その後全国大会へ行くことを泣きながら拒否した彼女に代わって、私が鳥取県米子市までロングジャーニーしたので、貸し借りなしと言えばそうなのかもしれませんが。そしてこの米子市のアーケード街にある古本屋で出会った「ルイス・キャロル詩集」がその後の私の人生に大きな影響を与えた……のですが、これはまた別な機会に。

 写真の話に戻ります。

 もう20年以上経ったし、何もかもが時効だと思うので語りますが、この写真はいわゆる「写真合宿」で撮影したものです。当時の顧問はいわば上級アマチュアカメラマンで、撮影技法や構図の捉え方などに一家言がある人でした。それゆえに、サボりたい人たちの吹き溜まりに近かった
当時の写真部から、やる気のなさげな人たちを一掃。当時違う部活から「サボれるから」という理由で異動した私もその対象になりかけたのですが、

 「やらなきゃいけないことは、やる」

 ということでまじめにコツコツと取り組みました。それを認めてくれたのか、あるいは単純に誰も行きたがらなかったのか、私と私と同学年の友人ふたりだけで顧問の愛車ハイエースに乗り私たちの学校から東に100キロほど離れた海岸の民宿に泊まり写真を撮りまくったのでした。

 そうやって撮りまくった写真が文化祭の審査員の目に留まり、さらにそれが岩手日報の記者の目に留まり、「日報キャビネコンテスト」にそこそこデカいサイズで掲載されました。そしてその写真を見た被写体の家族がびっくりして岩手日報に問い合わせ小騒動になりました。そう、遠距離からズームレンズでビシバシ撮った、無断撮影写真だったのです。

 当時からプライバシーなんたらという問題意識がないわけではありませんでしたが、今ほど情報化社会が進んでいなかったのでね。掲載されたのも別に週刊文春とか投稿写真とかじゃなくて岩手日報の写真コンテストですからね。ちょっとしたドッキリ小騒動ではありましたが、最終的には認めてもらえたので良かったです。


 当時の部の備品カメラは「EOS650」と「EOS1000」。当時としても10年選手であり、まあペンタックスSPでフルマニュアル撮影(ただし露光計を除く)の楽しさに目覚めてしまった現在の私からしてみれば電子制御のカタマリと言ってもいいこれは……いや、いいカメラですよ。

 何せ初心者が服を着て歩ていたような16歳のコゾーが、優秀賞を頂けるような写真が撮れるんですから。実際ズームレンズでレイアウトも自由自在だし、むつかしーことは全部コンピュータが計算してくれるし。――もっとも、プログラムAEは「バカチョンは使うな」という顧問の意向により使用禁止であり、絞り優先AEまたはシャッター速度優先AEなど、ある程度人間の意志があって、コンピュータがそれをサポートして……という写し方だったのですが。

 うん、実際、カメラに関する基本的な知識は、その後も色々と入門書とかを読みましたが、結局この顧問から直に教えられたことしか、身に沁み込んでませんね。やっぱり実際にやってみたことしか、生きてこないんです。
 
 その顧問は一年ほどで異動になり、次にやってきたのは「写真は好きだけど技術はいまいち」な先生でしたからね。その年の夏には私が好きな先輩がいなくなっちゃうし、ある意味、灰色の青春です。結局最初からクライマックス、あとは頽廃デカダンスな高校生活でした。まあそれはいいんですが。


 さて話が随分と長くなってしまいましたが、その時にパネルに引き伸ばす前の試し焼き写真が出てきたのです。

 忘れようとした時もありました。そのあと、思い出して、取り戻そうとしました。

 だいぶん、出来上がってきました。ファミコンの「火の鳥」のように、たくさんのピースに分断された私の過去が、徐々にひとつの絵になってきました。

 まあ、絵というか、一本の道のようなものなんですけどね。

 「あの時、あんなことがあったっけな」

 そうやって過去を懐かしむ行為は後ろ向きな、ネガティブな行為だと思っていたこともありましたが、30を過ぎた頃から、変わってきました。

 「あの時、あんなことがあったから、今はこうしているんだな」

 過去を点検し、現在を確認する。

 そして未来への指針を定め、歩いていく。または、走っていく。

 「過去・現在・未来の区別は単なる幻想にすぎない」

 アインシュタインはそんな風に言っていますが、それよりも私はブレット・ハートの言葉の方が好きです。すなわち、

 「現在、過去、未来においても俺が最高だ」

 ということです(※)。


 いいこといっちゃったかな。



 ※ 実はブレット・ハートも映画からセリフを引用していたらしいですが、私はその映画を見ていないので、ブレット・ハートの言葉として引用させていただきました。

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