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おはようございます。

 20年ぶりに代替わり

 いぬがみです。


 私の感覚では、声優というのは「こえのおしごと」であって、それを演じている人がどんな人なのかを感じさせい――あるいは興味がないんですよね。もちろん映画のパンフレットとかに、写真付きでコメントを載せるとか、そういうのはいいと思うんですが、テレビでこれでもかとばかりにアピールしたり、自らステージに立ってアニメと同じ衣装と動きでパフォーマンスしたり……そういうのはちょっと受け入れられないな、と思ったんですよね。

 要するにラブライブ! ですよ。いや私はラブライブ大好きですけど、基本的にはアニメ派。フィギュアさえ食指が動かない二次元派です。私の物理学に2.5次元なんていうのは存在しません。

 だから私は「声優は声優」「アニメの女の子はアニメの女の子」と区別して考えます。

 その上で、Aqoursとかμ'sとかの人たちはスゲーなと思うのです。

 「声優は声優」「アニメはアニメ」その境界線は絶対的に存在するものの、それぞれがとても魅力的である、と。


 私の中のそういう存在は「かないみか」さんでした。

 90年代半ば、私がまだ月野うさぎ14歳中二(三石琴乃さんの声で)と同じ現実的14歳中二だったころ。当家にセガサターンとともにやってきた「アイドル雀士スーチーパイSpecial」で主人公の御崎恭子/スーチーパイ役を演じておられたのが、かないみかさん。続編の「スーチーパイII」には特典ディスクとして、声優さんが声優さんとして作品のこととかを語る映像が収録されていました。

 これ以来、私にとってかないみかさんというのは、ひとつのイコンとなりました。まさにメロンパンナのメロメロパンチです。私の場合メロメロパンチではなくスーチースティックの一撃でしたが。

 ちなみに本作には、松本「サトシ」梨香さんや、故・水谷優子さんもキャストとして出演していました。今思えばこの頃から、声優さんを自分が好きなキャラクタの名前で呼ぶようになったのかもしれません。


 それが最近、変わりました。ようやく代替わりです。

 それが「三森すずこ」さん。

 その名前を知ったのは「ミルキィホームズ」のイベント……に、新日本プロレスの真壁刀義さんが乱入したのを新日本プロレスの公式ホームページで読んだ時。当時は今ほどスイーツキャラが認知されておらず、一般人からしてみれば、文字通り野獣が乱入して来たような印象だったのではないでしょうか。

 「かわいいじゃねえか」

 ……なんか、そんな感じで真壁さんが絡んでいったとか、報じられていたような気がします。

 結局ミルキィホームズはあんまりハマりませんでしたが、その三森すずこという名前はずっと憶えていました。

 それから時は流れて、ウチの弟がラブライブ! にハマり始めた頃。キャラクタと声優の羅列をズラズラ見ていると、「園田海未:三森すずこ」という名前が。

 先述した理由により、あまりラブライブは興味がなかったのですが、「三森すずこが声を当てているなら、ちょっと見てやろうかね」と思って、とりあえず見てみました。

 


 で、現在に至る、と。


 ただ、それだけであれば「好きなキャラクタを演じている声優」の枠を出ないのですが、私が目を開かされたのは、三森すずこさんのこの日のブログ記事です。

 ミルキィ ふぉーえばー!!!!


 自らを表現者と名乗った三森すずこさん。そうか、ラブライブもミルキィホームズも終わったけど、声優としても歌手としてもラジオのパーソナリティとしても活躍する三森すずこさん自身を追いかければいいんだ。そう確信した時、私の中の「絶対声優」が代変わりしました。今後は何があろうと三森すずこさんを全力応援します! ところでオカダ・カズチカとの結婚はいつになるんでしょうか? 東スポ「だけ」が真剣交際とかって報じたのもだいぶん前になる気がするんですが!
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こんばんは。

 今日は半日、テレビ見てました

 いぬがみです(休みで実家)。


 病院に行ったら5分で9000円。ろくに話も聞いてもらえず、こっちから一応相談してみても
「にべもなく」というか、塩対応というか。

 「ネットでそういうのあるから、やってみて」

 あ~じゃ~絶対やりませんから! 私、そう言われるとインターネットとか見ませんから! と、酒の勢いに任せてそのインターネットを利用したブログを書いている今日この頃。

 ううん、やっぱり私は分裂思考なんですよね。いっぺんに、色々なことを考えちゃう。こうやって書いていても、頭では全然違うことを考えていたりするから。

 
 今日は午前中に病院に行って、帰ってきてご飯食べて、そのあと正月のVS嵐スペシャルを見ていました。そして、写真を印刷してみました。自宅にあるキヤノンip2700で、写真光沢紙で。

 写真プリントといえば写真屋さんでやるものですから、初めて……とは言いませんが、あんまり自宅でやったことがなかった私。そりゃあコピー用紙とか年賀はがきで印刷したことはありますが、写真光沢紙でプリントをやってみたことは、一度もなかったんですよね。

 それで、やってみた、と。どうだった、と。

 「……ほう、こんなものか」

 思ったほどじゃなかった、と言いますか。なんか、20年くらい日焼けしたような風合いになりましたね。全体的に色が薄いというか、パソコンのディスプレイで見るよりもずっと「ああ……」とうなってしまうような。

 印画紙のせいなのか? 顔料インクのせいなのか? なんだかよくわかりませんが、とりあえず、こういうものなんでしょうね。ひとまず、いいです。今日はそんな感じで、あえて「何もしない」そんな贅沢な休日を過ごしました。そしてビールを飲んで缶チューハイを飲んで、この後活性原酒雪っこを飲みます。薬との相性? 

 んなもん知るかー! 

 ……あ、この部分は片桐仁さんが演じる「怪傑ギリジン」の物まねです。
おはようございます。

 Be yourself no matter what they say

 いぬがみです(トーストは両面焼きですけど)。


 と、いきなりEnglish man in New Yorkで始まりましたが、今日はそういうことではありません。というか、本来であればこうして公開するような話でもないのですが、一応何かしら書いておきたいので書きます。

 ええ、というのは、別に世界に対して何かを発信するわけではなく、ごく個人的な気づきの話なんですけどね。

 まあ、それでも、どこでどう誰の心に作用するかわからないですし。スタローンも俳優のオーディションには落ちたけれど、その去り際に「ところで脚本があるんだけど」と言い出したことから『ロッキー』が日の目を見て、人生が大きく動き出したわけですから。


 今月に入って「ラブライブ!サンシャイン!!」の映画を3回も見てしまいました。

 別に週替わりの特典をコンプリートしたいというわけではありません。本当に映画が好きで、あるいはアニメの女の子たちが好きで、その物語の世界に行きたいと思うからそうするのです。それにしたって、物の半月で3回も映画を見に行くなんてことは初めてです。もはや狂気と言ってもいいでしょう。……って、そこまで強迫神経症的なイメージではないのですが。映画を観るのだってタダじゃないしね。

 何でこんなに好きなんだろう。女の子がかわいいから? そりゃ~そうですよそうに決まってるじゃないですか。

 でも、それだけじゃないんですよね。

 そこで今日のテーマ。たぶん私がこうも好きな理由は、物語が「女の子の物語」だからなんだろう、と思うのです。――逆に言えば、私がかわいい女の子に一瞬目を引かれながらも直後に激しい拒絶反応を覚えスゴスゴと遠ざかることが多かったのは、その女の子と私の間に物語の担い手たる男子がいるからだと思うのです。ズギャーン!

 ハイ、だからといってオール・オア・ナッシングというわけではありませんよ。よくある実用書とかタイトルばかり長いライトノベルじゃないんですから、主人公が男だから全部ダメだってわけじゃありませんよ。感情移入しやすい男性が主人公なのであれば、それは面白いです。そういうの、たくさんあります。でも、感情移入しづらい男性が主人公なのであれば、それはダメです。特にそういう人物が一人称で地の文を書いている物語とかそれを原作にしたアニメとか、そんなのはまったくもって拒絶反応です。そんな奴ァ2秒で排除です。遅れた奴は脾臓送りです(byキラーT細胞さん)。

 このテーマ、これから色々と考えていきます。そして気付いたことをその都度書きます。だから今日はあまり長くならないうちに締めくくります。

 早い話が、女の子が主人公の物語に余計な男はいらないってことです。

 少女漫画の主人公の女の子が作中のイケメン男子に恋をして云々というのはよろしい。それは自然な流れですから。

 ただ、一応男性向けのカテゴリにある、女の子が主人公の物語であれば、男子の存在は邪魔になってしまうような気がします。そういう要素いらないから。女の子がその世界で特別純米大吟醸に躍動していれば、見ている私は勝手にヒートゲージが上がってバーニングしちゃいますから。まあ慎み深いμ’s以来のライバーたる私は、光る棒切れを往来で振り回すようなことをせず、精神世界で飛んだり跳ねたりするわけですが。
おはようございます。

 アメリカはチャンスの国

 いぬがみです(フィラデルフィアより愛を込めて)。


 もちろんこの記事を書いている現実的な場所はフィラデルフィアではなく青森県ですが、昨日は映画「ロッキー」の1作目を見ました。そういう話です。

 これが初めてだったんですよね。

 最初に見たのは「ロッキー4」。これはなぜか2回見ました。獲得した賞と言えばゴールデンラズベリー賞です。今見れば確かに「……」ですが、とにかく2回見たことは事実です。

 次に見たのは「クリード」の1作目。これは面白かったですね~。

 そして現在はクリードの続編が公開されています。2世同士の対決。そうなると相手は当然「ソ連の殺人マシーン」ことドラゴの息子でしょう。いや詳しくストーリィは知らないんですが、どうもポスターを見た限りでは、そうなのかな、と。

 
 ともかく「2」~「5」まではもれなくポンコツ映画の烙印を押されていますが、1作目は良かったといいます。どうしてなのかといえば、

 「どうしようもないポンコツが、努力を積み重ねて夢をかなえる」

 という不変の絶対的なテーマを、当時本当にそんな感じだったスタローンが映画の中でやってみせたからなのでしょう。そのあたりの話はDVDの特典映像で25年後のスタローンが語っています。wikipediaの「ロッキー」とか「カール・ウェザース(アポロ・クリード役の人)」とかの項目を見ると、この時に語っていた内容が記載されています。


 ともすれば超有名なテーマ曲「gonna fly now」「final bell」が安いバラエティ番組で頻繁に流され、すっかり食傷気味だった私。しかも努力が嫌いで、いつもできない理由を探して積み上げて逃げ回ったり立ち止まったりしていた私。というか「努力したってダメなものはダメ」という思想を十代の頃オーケンさんから学んだ私。ゴミクズ同然の人生です。

 でも、ロッキー・バルボアも最初から素晴らしい人間じゃなかったんです。

 びっくりしたのは、冒頭――試合のシーンから始まるのですが、リングから降りた直後にタバコを吸ってるんですよね。ボクサーなのに。スポーツマンなのに。そのあともしょっちゅうタバコは吸うし、ビールは飲むし。生業は高利貸しの借金取り立て屋だし。そのくせ非情になり切れないから、ボクサーとしてもゴロツキとしても中途半端な状態だったんですよね。

 そんなわけだから、あの有名なフィラデルフィアの図書館を駆け上がるシーンも、最初はひどいものでした。途中で足はフラフラガクガク、息も絶え絶えで何とか上り切るものの、もう惨憺たるものでした。本当にボクサーなの? って。そんな感じ。

 それでも、ひたむきに努力を重ねることで、例のあのシーンですよ。ドヤ街を駆け抜けて、オレンジを投げつけられてもパシッと受け止め(これはアドリブで受け止めたのをそのまま本編に使った……というんは有名な話)、軽やかに階段を駆け上がって高々と両手をあげるアレ。そして練習だけでなく、実際の試合でも「地上最強」の呼び声も高い世界ヘビー級チャンピオンと互角以上の激闘を繰り広げるわけです。


 とにかく最後までまったく退屈しませんでした。これは本当にいい映画です。


 私自身の話をすると無駄に長くなってしまうので、それはバッサリ割愛するとして。最後に、DVDの映像特典の中にあるスタローンの言葉を聞いた感想を少々。

 自分自身もやはり1作目が最高傑作、奇跡の出来と評しているんですよね。そして絶頂に達してしまえば、「あとは落ちるだけ」と――。

 悲しいですが、切ないですが、たぶんそれが事実でしょう。「1作目より2作目の方が面白い」というのは、要するに前作がまだ絶頂でなかったからなのでしょう。そしてロッキーに関しては、やはり1作目が絶頂で2作目以降は落ちるだけというのが事実なのでしょう。それはスタローン自身も認めるところなのでしょう。

 ただし、この話は2001年(ロッキー1を振り返って「あれから25年か」と言っている)に収録されたものですからね。本当の意味での最終作? である「ロッキー・ザ・ファイナル」は2006年ですから。

 そういうわけで、次はこれを見ます。そのうえで、クリードの続編も見たいと思います。劇場で見るのは……間に合うかなあ?
こんばんは。

 今日と明日の境目で

 いぬがみです(23時59分)。


 明日は休みですが、もうすぐにでも寝たいので、短い文章を書きます。

 一生懸命にやって、それを怒られることがありました。

 「自分はほかの人と比べて仕事ができない。だから一生懸命に仕事をしたのに、どうしてそれがいけないんだろう」

 目の前が真っ暗になった……とは言いませんが、ひどく気持ちが落ち込みました。

 もう、酒も飲みたくなくなるくらい。

 まあ、結果的に、それなりに飲んでしまったのですが。半分はお付き合いで。


 そうして、今、自分の部屋に戻ってこの記事を書いています。

 しかし、少し視線を逸らせば、そこには「ラブライブ!サンシャイン!!」の一年生チームのアクリルクロックが。

 それだけで、気持ちが幸せになるのです。


 この時計、とある中古雑貨店で「500円」で買いました。

 包装を開けて電池を入れてみると、どうもちゃんと動かない。よく見たら秒針が長針に干渉して先に進めず、結果的に時計としての役割をはたしていない、と。

 「あるいは、こういう仕様なのか?」とも思いましたが、その後5分くらい様子を見ても、直る気配はない。その時点で、あくまでも時計としてこれを買ってきた私は決心しました。

 「もしかしたら、壊れてしまうかもしれないけれど、それでもコレを時計として使いたい」

 ということで秒針を両手の指で挟み、慎重に引っ張り上げました。とりあえず、長針に干渉しないくらいに。

 おそらく本来であれば、こんなことをしなくても、ちゃんと時計として機能したことでしょう。秒針が若干折れ曲がっているのは前のユーザーのせいか、はたまた梱包が雑なショップのせいか。それはよくわかりませんが、ともかく今私の目の前にある時計は、秒針がちょっぴり不自然に曲がっていますが、とりあえず時計として機能しています。



 一口に「時計の修理」といえば、それはねじと歯車のひしめきあう心臓部の修理ということであり、こうやって秒針を力ずくで折り曲げる作業なんざぁ誰だってできることです。

 しかしながら、「動かないものを動くようにする」ことを修理というならば、私のこの作業も立派な修理です。そして、それが時計だった。……私もずっと愛用していた自動巻き時計『シチズンセブンスター」の分解整備に行った時、その超絶精密メカニズムとそれをオーバーホールしてくださった時計職人の方に多大な尊敬の念を抱いていましたから、技術的な差は天地ほどあるにせよ、自分なりに「時計を直した」というのは、何よりうれしいのです。子どもが近くの公園でテレビのヒーローになり切って走り回るのと同じ感覚だとはいえ、やっぱり

 「動かない時計を、自分の手で動くようにした」

 それが、とても嬉しいのです。


 そんな嬉しさがあるから、私は今日も生きています。

 このブログを書き始めた今日は昨日になり、明日が今日になりましたが、私はまだまだ生きていたいと思います。

 だって、この世界には楽しいことがまだまだたくさんあるから。それを糧に、生きていけるから。
こんばんは。

 「いだてん~東京オリムピック噺~」面白いですね

 いぬがみです(まだ第一話しか見ていませんが)。


 ドラマの方はさておいて、精力善用というのは、このドラマにも出てきた講道館開祖・嘉納治五郎先生がおっしゃっていた言葉です。正確には「精力善用・自他共栄」ですが。

 私も薬の影響で勢力が常時138%の過剰状態であり、その衝動が赴くままにあんなことやこんなことをしていましたが、やはり精力善用です。

 とはいえ今から柔道を始めるというわけではありません。そこは私なりの解釈です。

 要するに激しすぎる感情をドン・ファン的遊蕩生活で消耗するようなことは慎み、身体を動かすにしても自分のステータスアップになるような、何かしら実のなる行動をしようと思ったのです。いやステータスアップじゃなくてもいいです。

 「健康で、生活に便利なカラダ」

 それを作れればいいです。薬で精神的に過剰な状態になるのなら、精神の入れ物である肉体のキャパシティを広げてあげればよろしい。100キロが限界のコーナーを101キロで曲がることはできませんが、限界を101キロに引き上げることはできるんです。って、これは湾岸ミッドナイトですが。


 ともかく、人生は楽しいです。考えることがたくさんあります。

 まだまだ、できることもいっぱいあります。

 明日も、生きます。楽しく、元気にね。
おはようございます。

 朝から熱中症

 いぬがみです(めまい、吐き気)。


 今から20年前、私は高校2年生でした。ちょうど微妙な月なので具体的に書くと、1998年度、高校2年生でした。なので1999年4月から高校3年生というところです。

 現在公開中の映画「ラブライブ! サンシャイン!!」であれば、2年生の子たちと一緒です。いや一緒っていうか、ちょうど20年、離れているということですね。キリのいいところで。

 こないだの『ファインダー』に出てきた女子高生もそうですけど、現実的に高校生だった時代から、そろそろ20年。そしてそれ以上の時間が経とうとしています。

 よく考えればジョシコーセーが主人公の物語なんて、いつの時代もあったから、どこかでこういうタイミングが来るのだとは思いますが……あるいは、20年という節目だからかな。『仮面ライダージオウ』とか何とかもそうですけど、色々メモリアルイヤーな感じがします。


 たぶん、今年が勝負でしょうね。

 今までいろいろと忘れていたこと、捨ててきたこと、後悔していること、物足りないこと。その10年分20年分あるいは30年分を取り戻そうとして、ここ半年くらい頑張ってきましたが、やはり30年分をいっぺんに生きようとすると、時間が足りません。物理的時間は万物において平等ですから、あとはいかにその時間を濃厚に生きるか。

 幸いにも私にはコンサータがあります。これを服用し始めてから、人生を143パーセントくらい生きている気がします。その分、身体的負担も小さくありませんが。


 題名は、ナムコの格闘ゲームのキャラクターのセリフです。

 これは記憶違いかもしれませんが、「ソウルキャリバー」の主人公であるジークフリートが勝利時に言っていたセリフです。確かドリームキャスト版で、ソウルエッジに乗っ取られた『ナイトメア』のバージョン違いとして出てきたはずですが、こんなことを言っていたような気がします。

 そしてもうひとりは、「鉄拳4」のオープニングの三島一八ですね。

 「生きていたのか!」

 自分の手で抹殺したつもりの親父・三島平八に対してモニターカメラ越しに叫んだセリフ。正確には「貴様からは……すべてを取り戻す!」ですが、そんな感じです。

 
 何もしてこなかった――と思い込んでいた社会人生活の10年。

 何もかもを捨てよう――と忘れ去っていた中/高/大学生時代からの20年。

 ラジコンとファミコンの合間で泣いたり笑ったりしていた小学校時代からの30年。


 そして、もうすぐ40年。

 ずっとずっとずっと先のことだと思っていた未来が、もう手の届きそうなところにある。

 だから私は生きます。

 過去を、そして、現在を。



 *


 ……本当は20年くらいで区切ろうと思っていたのですが、今この記事を書きながら聞いているのが『女神転生』のサントラなものですから、ちょっと範囲を広げてしまいました。1作目は1987年、2作目は1990年なので少々ずれはありますが、キリのいいところで30年ということにしました。大変だぞ、こりゃあ(笑)。
おはようございます。

 世界最高の読心(リーディング)能力

 いぬがみです(……「ときメモが好きなようだな」)


 それは90年代の名作「メタルギアソリッド」の登場人物であるサイコ・マンティスですが、以前「TRICK」というドラマを見た時、ホットリーディングとかコールドリーディングとか、そう言う言葉を覚えました。のちに「ザ・クイズショウ」でも出てきましたが。

 いずれも相手の心を読む技法なわけですが、そのことをいまさら突き詰めるつもりはありません。それを知ったところで、本当にその技術を自分のものにしている人からすれば、容易に看破できるというか、むしろそれこそつけ入る隙だと思いますので。メンタリストの方のダイゴさんを見ていると、そう思いますね。こんな人と相対したら、私は全面降伏です。

 今日は、要するに人間だれしも、ほかの人の言葉を自分に当てはめてしまうものだな、と思いました。っと、そう言う話です。


 本を読んでも映画を見ても、「ああ、これは今の自分と一緒だ」と思ったり。それは感情移入という言葉でもいいですが。そして、すべての創作物というのは、そのために存在しているのだと思いますが。

 その、最も強力なものが聖書ですね。これはもう2000年以上かけて磨き抜かれた言葉の数々ですからね。たぶん人間の側に立って考える人は、これらの言葉さえ様々な心理学用語を振りかざして理詰めで解明するのでしょう。

 それなら、それでよろしい。聖書の言葉をイエズス様すなわち神様のありがたい教えと受け止め、そのように行動しようとすることを嗤うのなら、嗤えばよろしい。

 その先に私が求めるものは無いですから。私は私の信じる道を行きますから。


 *


 あと、もうひとつ書こうと思っていた話題があります。

 これは自分でもあんまりよくわからないのですが、やはり――この際聖書だろうと何だろうといいのですが、同じ文章を目にしても、電子メディアよりも紙メディアの方が頭に入るんですよね。

 …………

 あれ、この話、「湾岸ミッドナイト C1ランナー」で出てきたような気がするな。すみません、これはコミックスを読み直して、また改めて書きます。
こんにちは。

 冷めやらぬ余韻

 いぬがみです(数日前に見たまんが映画のね)。


 こんなことを言っているから私は、突き詰めることができないんですよね。また、それでいいと思っている節もありますし。

 さて、ユルスナールの『三島あるいは空虚のヴィジョン』を読了しました。

 私が昨晩書いた、三島氏の自決直前の雰囲気は、ユルスナール女史と澁澤龍彦氏(翻訳者)によって大体わかりました。あとはもう結構です。

 やはり私にとっては、この3冊を併せて読むことでバランスが取れるのかなと思います。当事者たる三島氏があって、「親しくそして本質的な理解者」であり「時間を超えた優しい眼差し」を注ぐ澁澤龍彦氏があって、さらに、その澁澤氏が自ら翻訳を手掛けたユルスナール女史があって。そのおかげで私は現代を生きることができるのです。

 まあ背の立つところまでしか入っていないのに「海を知った」というようなものですが、これも含めてあくまでも仮想体験、冗談のひとつと思っていただければよろしいです。


 そして、改めて思ったのは、やはり文章力というのは重要だということです。

 平易なのか難解なのかという問題とは別に、上手なのか下手なのかということですね。

 たぶんその辺が、心に響くとか響かないとか、そう言うことなのかなと思うのです。

 大学まで行って文学をやってきたわりに、なんだか拙劣極まりない文章しか書けない私としては、これら偉大な方々の文章を読むたびにトホホと苦笑いしてしまいます。もはや頭をかきながら情けなく笑って引き下がるしかありません。

 まあ、私自身の文章がまずいので、せめて良い文章をたくさん読みたいと思います。よし、今日はコンパクトにまとまりましたね(?)。
こんばんは。

 過度に先鋭化する精神を御するべく、体を鍛える。

 いぬがみです。


 こないだ本棚を整理して澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』を再発見し、その三島氏の「太陽と鉄」を読み、さらにユルスナールの「三島あるいは空虚のヴィジョン」……と、続けざまに読んでいる私です。

 すでにこの時点で私は三島氏に強く魅了されています。困ったことにそれが、例えば三島氏の文学を読んで感動して……というのではなく、精神と肉体のそれぞれを鍛え上げて自分の求める境地にたどり着こうとした三島氏の生き方そのものに共感あるいは共鳴してしまっているのです。

 実際に私が同じ轍を踏まないのは、私が三島氏と比べてあまりにも凡庸であり拙劣であり、またアニメや漫画やその他もろもろ……三島氏や澁澤氏が生きていた時代には存在しなかった雑多なものに、すでに心をからめとられているからです。

 そして、それゆえに私はまだまだ生きていたいと願うからです。

 今回の妄想は、私がゆるぎない生への執着を心の中にいつも燃やし続けていることを前提にお読みください。って、ここまで書いている文章を読んで、すでに皆さまあきれ返って、このあとの駄文を読むことはないでしょうが。それであればこそ、私も心置きなく妄想をメモすることができるのですが。


 とりあえず私が思っていることを書きます。

 市ヶ谷で割腹自殺を遂げた三島氏は、ヴェトナム戦争に反対して抗議の焼身自殺を遂げた僧侶と重なります。

 どちらも、何かしらの精神的危機に追い込まれ衝動的に自殺した……という凡百のそれとは異なります。おそらくですが、自分の意志で、よりによって非常に苦痛を伴うであろう方法により自殺をしようと思ったのです。

 どうして?

 そのことを検索すれば、なんやかんやと情報が見つかるでしょう。時間も空間も異なる人たちがそれぞれに推測して論じていることでしょう。しかし、私はそういうのを見ようとは思いません。

 彼らのことを思えば、どうしても客観的になれないからです。

 どうしても、どうしても軍服に身を包み関孫六を携えて市ヶ谷に飛び込んだ三島氏やガソリンを持って往来に出ていった僧侶に、自分自身を重ねてしまうのです。まるで自分がその当事者になったようなイメージを持ってしまうのです。

 その日――自分が切腹や焼身といった、凄惨極まりない、およそ人間が知覚できる最大限の苦痛を伴う死を、自分自身の手で行う時、どういう気持ちなんだろう。


 たとえば、明日の朝、それをすると決めていたら。

 「今日は寝る。明日起きる。そして明日の正午に自分は死ぬ。自分の手で。自分の意志で。」

 「ガソリンをかぶって、自分で火をつける」

 「鋭い刀を自分の腹につきたてる。さらに突き立てた刀を、意志をもって真横に滑らせる。そして自分の腹筋と内臓をズタズタに切り裂く」

 1月19日にそうすると1月1日に決めて、それまで、どんな思いで生きるのか。

 その日、何を思うのか。

 前の日の夜、何を思うのか。


 「豊饒の海」の最終稿を、切腹する日にまとめ上げた三島氏はどう思っていたのか。

 
 その前の日の夜、何を思っていたのか。



 今、何を思うのか。




 今……。




 何を……………………。
かつて、とある戦場カメラマンは「こんなのニュースになりっこない」と思いながら、ありふれた日常風景をフィルムに収めていたと言います。それは非日常的な世界を追いすぎるあまり糸の切れた凧のようになりかねない自分をつなぎとめ、取り戻す作業であったと言います。
           
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HN:
いぬがみ
年齢:
37
HP:
性別:
男性
誕生日:
1981/07/04
職業:
一応、給与取得者
趣味:
ドライブ・アニメ・ゲーム
自己紹介:
 岩手県に生まれ、岩手県に育ち、岩手県に住む、純粋いわてっ子です。これからも岩手に生き、岩手の人たちのために頑張っていきたいと思います。
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